アラスカ
2002年(平成14年)5月11日〜19日
プロローグ
世界3大クルーズは、カリブ海クルーズ・地中海クルーズ・アラスカクルーズとのこと。
5年ぐらい前になるだろうか、今回同様高野君に誘われてカリブ海クルーズでアメリカのポートカナベラルからバハマの首都ナッソーへ行ったことがある。今回は2回目のクルーズである。
高野君の話だと、キャンセル待ちで確保したのは、ベランダなし、窓無しの内側のキャビンとのこと。の代わりに料金は最低。7万7千トンのオーシャンプリンセスは就航2年目の新造船。施設を上手に使えば、キャビンは寝るだけでよい。これはカリブ海クルーズで体験済み。料金の安いのがなによりである。

乗船カード;キャビンのキー、船内でのクレジットカード、上陸時のチェックカード。これ1枚で何でも出来る便利なカードです。氏名と部屋番号が印刷されています。
高野君は私が以前にアラスカへ行きたいようなことを言っていたからと誘ってくれたが、私は、アラスカのオーロラを見てみたいと話したように記憶している。この季節ではオーロラは駄目。またこの歳になって真冬のアラスカで、何時現れるか分からないオーロラを待つ旅はまず無理。
今回の目的は、世界遺産にもなっているグレ−シャベイ(巨大な氷河のある湾)である。この目的地や上陸するジュノー(アラスカ州都)やケチカンなどをインターネットで調べてみた。面白そうである。....1日待って「OK!!」.....旅が実現した。

オーシャン・プリンセス OCEAN PRINCESS
船籍;イギリス 総トン数;7万7千トン 建造年;2000年 航海速度;21ノット(約時速40q) 乗客定員;1,950名 乗組員数;900名 全長;261b 全幅;32b ケチカン市の小高い丘から望遠モイドで撮影しました。

バンクーバー
■1日目 5月11日 金 曇り 出発→バンクーバー
6:00PMに成田を飛び立って、日付変更線を通過、その日の10:30AM(現地時間)カナダ バンクーバー空港へ着いた。時差−17時間だから、24−17=7...逆算して7時間時針をすすめればいい。夏時間なのでもう1時間まわした。アラスカクルーズは明日の12時頃乗船。出航は17:30の予定である。それまでは、自由行動になっている。
今日の午後はバンクーバーをマップ片手にウォーキング、明日の午前中はオプションでバンクーバーの市内観光の予定である。

ホテルはダウンタウンの繁華街ロ ブソン通りにあった。荷物を置い て、市内マップ片手に出かけた。
ホテルを起点にして、ロブソン通 り→バンクーバーの港−→港周 辺にある公園を散策した。場所が 分からなくなれば「ホエアー イズ ジス?」と地元の方に地図上に チェックをしてもらったりしながらの 散策であった。
写真はバンクーバー港。街灯の向こうに明日乗船するオーシャン・プリンセス号が入港していた。
バンクーバーは2回目の私を、初めての高野君が案内してくれた。彼の方向感覚と地図の見方は抜群。伝書鳩以上である。
同じ道路を通らないように、本通りだけでなく裏通りも通ったり、小さな食料品屋でアメリカドルで買い物をしたり、あれを見たり、これを見たり半日の自由時間を堪能した。よく歩きました。そして長ーーーい1日でした。
バタンきゅーーー。
バンクーバー/カナダ
エンパイア ランドマーク ホテル泊
■2日目 5月12日 日曜日 晴れ
バンクーバーの観光 オプション ¥8000,3時間は高い。前にも見たところだしどうしようかなと思 ったが、高野君は参加すると言うし、私も他にすることもないので参加することにした。22名のツワーグル−プの中参加者は9名であった。ワゴン車、ドライバー兼ガイド、小回りが利いて有意義な3時間であった。参加して良かった。 クイーンエリザベス公園→ギャスタウン→中華街通り→犯罪者の群れる無法の通り→スタンレー公園→ホテル

クイ―ンエリザベス公園
クイ―ンエリザベス公園;カナダで最初にオープンした公営の植物園。バンクーバーのほぼ中央の高台にある。頂上にある温室植物園の近くで車を降りて散策した。前に小林君と写真を撮ったのは何処だっけ などと探してみたが、分からなかった。
スタンレー公園;ホテルからは歩いて10分の距離にある広大な公園である。広さは400万平方メートル(日比谷公園の25倍)3方が海に囲まれている。その海岸線が10qもある。1周して見て回った。日曜日なので沢山ある施設には、人々が思い思いに休日を楽しんでいた。私も近くにこの様な場所があったらいいなあと思いました。広い公園は自然が豊で空気はさわやかであった。
ポイントでは車を止めて散策した。その主なものは。

トーテムポール・パーク;ここは前回小林君と写 真を撮った場所であるから印象に残っていた。 前回は写真を撮ればいいような気でいたので 今回は、1本1本のトーテンポールをじっくりと見 た。8本のうち4本が頂上に白頭鷲が刻まれて いた。これはブリティッシュ・コロンビア州に住む インディアン達が作った物である。

ライオンズ・ゲート・ブリッジ;スタンレーパークの北端から延びている橋でバンクーバーとノースバンクーバーを結んでいる。カナダでは最長の吊り橋で長さが1500b。橋脚はなんと116b。現在は無料だが有料になるらしい。ノースバンクーバーには何億円もする住宅がずらりと並んでいるとのこと。橋を造ったり高級住宅地を売り出したのは、あのギネスブックの社長さんとか言っていた。「金儲けの出来る人は先が見えるのだね」と高野君の弁。

プロスペクト・ポイント;ライオンズ・ゲート・ブリッ ジの左手にあり。対岸にウエスト・バンクーバーの 高級住宅地が遠望できる。スタンレー・パークの 中では一番眺めの良い場所とのこと。そこには大型の八重咲きのダルマソウとワスレナ グサで造られた円形の花園があった。わすれな 草の空色の花がなんとも言えないほど綺麗でし た。
"忘れな草に 帰らぬ恋いを 思い出させる 信濃 の春よ...."五木ひろしの歌う「千曲川」を口ず さみながら、海とその向こうの高級住宅を眺め た。
この後 自然林の小径を通って、ライオンズ・ゲート・ブリッジまで行ってみた。ひんやりした、さわやかな空気を胸一杯吸い込んで『今生』の幸せを感じた。
乗船
昼頃オーシャン・プリンセスに乗船した。キャビンはカリブ海のものより広く また 過ごしやすいように配慮されていた。船内の電圧は100ボルト。デジカメの充電のためコンセントを探したら3穴。添乗員にアダプターがないかと電話で聞いたら、ルーム・サーバーをよこすとのこと。アダプターのことを忘れていたら、小柄な可愛いインディアンらしい娘がドアの外へ出たところで「アドプター?」と大きな声で言う。久しぶりに聞く英語?は何を言っているのか直ぐにはぴんとこなかったが、ちょっと間をおいて「アダプター?...イエスイエス」彼女は部屋へ入ってきて指さしたところを見たら、二股の日本と同じ物がちゃんとあった。「サンキュウ!」 以後彼女とは何かにと言葉を交わすようになった。そのうちに私が日本人と分かってからは彼女は「お早う ゴゼイマス」と言うようになった。

クルーズの一番の苦手はディナーである。フォー マルスタイル、ワインのボトルをキープして、上等 なチーズを食べながらおしゃべりをして。2時間も 時間を費やすのは高野君も私も性に合わないん だな。高野君は痔、私は糖尿病だから、アルコー ルは控えめがいい。飲まないで飲んだ奴を相手に するほど面白くないことは経験者でないと分から ないものです。今度のクルーズのディナーは服装 は指定のない限りズボンとシャッツ姿のスマートカ ジュアルでいいし。正式のディナーへの出席は自 由。何処で食べてもいいという。また、カップでワイ ンが注文できるようになっていた。
私達は正式のディナーは2回だけ後の4回は、14階にあるバイキングスタイルのエリアで食事をした。二人だけなら別にしゃべらなくてもいい。ぼーっと波間に浮かぶ島影を眺めながら気楽な食事であった。食後はデッキへ出てアラスカの空気を味わったり、過ぎゆく森や山、島影を追い求めたりもした。写真は苦手のディナーの一こま
17:30オーシャンプリンセスは、6泊7日のアラスカクーズへ向かってバンクーバー港を出発した。
■3日目 5月13日 月 小雨
終日小雨、波はそれ程高くはない。世界で指折りの美しいフィヨルド、インサイド・パッセージを終日クルージング。『深い入り江や島々が入り組んだ内海の美しい風景をお楽しみください』と言うのがうたい文句のクルージングであった。生憎の小雨、景観はもう一つパットしなかった。ノルウェーのソグネ・フィヨルドを観光船で見たときも今日のような時雨模様であった。どうもいざ一番のフィヨルドの景観にはついていない様である。
船内の様子を見て歩いた。大きな船なので結構時間がかかった。14階まであるが、13階がないので実質13階という事になる。『13』という数は縁起の悪い数のようである。日本では『9』とか『4』とかの数は嫌われるが、私達のキャビンは日本では嫌われる9階であった。カジノ、ゲーム室、バー、売店、美容院。プール、風呂、映画館、ディスコ、…・・何でもある。私達はゲーム室をよく活用した。この窓際二人用のティーブルで囲碁をしながら流れ行くインサイド・パッセージ(内海航路)を楽しんだ。囲碁に負ければ、風景に気を取られてとか言いながら、勝負にこだわらない囲碁であった。周囲ではトランプをやる人、ガラガラと麻雀をやる人思い思いである。
ダンスやカラオケ(英語)をやっている人、映画を見ている人、この寒いのに甲板で水泳をしている人もいた。

夕刻船長主催のウエルカムパーティがあった。フォーマルに着替えて出かけてみた。添乗員の杉山さんもチャイナー・ドレスでなかなか良かった。「杉山さんもドレスアップすれば、結構美人じゃないの」と高野君の弁。(写真は杉山さんと筆者)飲み物は両者ともアルコールを避けてジュースにした。1杯で十分なのに、飲み終えてウェイトレスが片づけに来たので高野君が[OK]と言ったら、彼女は何を勘違いしたか高野君に、また大きなグラスいっぱいのオレンジ・ジュースを置いていった。高野君はさすが紳士、「参ったな」とか言いながらみんな飲んでしまった。
続いてのディナーに彼の胃はギブアップ寸前だったのかな等人の悪い私は大変愉快であった。この日のディナーは女性群がドレスアップしての参加でしたから、一段と華やいだものであった。私たちは鯉淵さん母娘の4人テーブルでしたから気楽で良かった。8人テーブルで「さようでございますの…お宅さんはどうなんざいますの?…」なんて言う奥様方と一緒だと、味の分からないディナーになってしまたろうに、良かった良かった。

ジュノー
■4日目 5月14日 火 小雨
朝起きると天気が気になる。8時頃デッキへ出てみると昨日と同じ様な小雨模様であった。州都ジュノーの港へ11時頃入港した。
オプションで、ジュノーの町から約21q離れたメンデンホール・グレ−シャの見学に参加した。
アラスカ州の州都。濃く蒼い海に浮かぶ緑に覆われた島々を縫って航海する 内海航路(インサイド・パッセージ)の北端近くに位置するこの町は、背後に雪や氷河を頂いた山々が迫る土地に作られた坂の町であり、カラフルな住宅や近代的なオフィスビルなどが新緑の山々とうまく調和していることから 「リトル・サンフランシスコ」と呼ばれている。

写真は港近くのショピング街 デッキより撮影
アメリカがロシアからアラスカを買い取った後にできた最初の町。ジュノーの歴史はゴールド・ラッシュ時代と共に始まった。ジュノーという市の名前も世界最大級の金鉱床を発見した2人の鉱山師の一人、ジョー・ジュノーに由来している。
12:30メンデンホ−ル氷河バスツワーに出発。ドライバー兼ガイドは、50歳代のベテラン。もしバスが事故れば私が真っ先に避難します。皆さんはごゆっくりどうぞ」とガイド。「わー!」と乗客がはやす。ガイドがジョークを飛ばせば、機敏に反応する乗客 この辺りは何ともアメリカらしい雰囲気である。バスを降りての見学時には、模型の時計でバスに戻る時間を連絡したが、これは言葉が通じなくてもよく分かって良い。バス内のガイドは全て英語であった。
途中ログハウスで出来た小さな教会に寄った。
素朴な綺麗な教会だった。教会は湖のほとりに建てられていた。その湖水の向こうに、目的とする氷河が遠望できた。

メンデンホール氷河 Mendenhall Glacier
この氷河はジュノー北21kmにあり数あるアラスカ氷河の中でも景勝誇る。全長19.3km、ジュノー・アイスフィールドから流れ出てメンデンホール湖に落ち、河口の幅2.4km、湖上面の氷壁の高さは30.4mにもなる。湖を挟んで手前にビジター・ センターがあり、ここから800m程の近さで氷河が見えるほか、6月から9月にはスライドやフィルムで氷河の説明が行われる。湖を囲む氷河の対岸には、3つのハイキングコースがあり、氷河の侵食によってできた渓谷や森、美しい花々や動物など、自然探索が楽しめる。夏期、湖から流れる川でのラフティングも人気。
バスから降りて、氷河湖の縁をまわって、氷河が湖水に落ち込んでいる直ぐそこまで行ってみた。近づくにつれてその迫力が肌で感じるようになってくるものです。高野君とは途中で別れ別れになってしまった。それぞれが単独行動になってしまったが、それだけお互いこの素晴らしい氷河と景観に魅せられた結果であると思います。
湖水のあちこちに薄い氷の膜が張っていたり、崩壊した氷が浮いていたりして、氷河の消えていく末端の断末魔の苦しみが伝わってくるようであった。
薄曇り、雨はなくまあまあの天候であった。氷河湖は渇水期なのだろうか、氷河壁の直ぐ近くまで行って見学が出来たのはラッキーであった。
帰って港の近くの商店街をぶらついた。孫の土産にテーシャッツを2枚購入した。1枚はちょっと小さいかなと心配したが丁度良かった。品質は東欧辺りとは比較にならない程上等であった。外国土産にはかさばらないチョコレートをよく買うが、ここで買ったチョコは美味しいと好評であった。
夕飯はフイッシュ・バーベーキュウ。ボリュウムたっぷり、エビや貝を主体にした串刺し。コレステロールを心配しながらも、運動量のあった半日だったから綺麗に平らげた。デザートはケーキ、これも本
格派、デコレーションケーキを切ってくれた物、これも血糖値を心配しながら平らげた。満足々々の1日だった。
21:00世界遺産グレーシャーベイ(氷河の湾)に向けて出航した。
グレーシャベイ
■5日目 5月15日 水 小雨
今日は、旅の目的地、巨大な氷山の湾と呼ばれているグレーシャーベイのクルーズである。6時前には朝飯を食べ終えて、甲板へ出た。天候は時折小雨の降る生憎の天候であった。アノラックを着て手袋をはめて、持ち物は、双眼鏡、カメラ、囲碁である。船は既にグレーシャーベイの入り口に入っていた。船内新聞に観察によい場所が掲示されていたが、その一つである船尾の風を避けた場所に陣取った。ここなら左舷右舷の展望が出来る絶好の場所である。囲碁をしながら根気よく観察を続けた。

土砂で海水が濁ってきた
鯨もラッコもアザラシも動物らしい物は何も見えなかった。奥へ進むにつれて、氷片が浮かび また 氷河の運んできた土砂で海水が濁ってきた。やがてグレーシャベイの氷河の中でも抜群のマージェリ−氷河が見えてきた。氷河の末端が海へ崩れ落ちている。荒々しい荒涼とした光景である。

マージェリー氷河
この氷河は海抜4600bの高さからこの海(0b)に到達する距離はたったの30q。これだけの急斜面を流れ下る氷河は世界でも類を見ない。
氷河末端の氷塊が崩壊落下する様子を期待したが、何の異変もなかった。
【グレーシャーベイ国立公園】(上の写真)
チルカット山脈とフェアウェザー山脈に挟まれた地域に広がるのが、グレーシャーベイ国立公園。
湾に流れ込むようにして形成された16もの氷河の荘厳な光景はもちろんのこと、緑深い森林や木々、愛敬あるアザラシ、イルカ、鯨などの動物達を見学できる。
午後4時グレ−シャベイを出航、アラスカ最南端の町ケチカンへ向けて。

ケチカン
■6日目 5月16日 木 晴れ
アラスカ最南端の町ケチカンへ入港9:00 オプションもあったが、ケチカンの町を二人でウォーキング観光をすることにした。
【ケチカン/Ketchikan】
アラスカ最南端の町ケチカンは、アンカレジ、フェアバンクス、ジュノーに次いで4番目に大きな都市。町はトンガス海峡に面して細長く延び、森や丘にはカラフルな家々が並び、深緑のフィヨルド景観を彩っている。水産資源、森林資源に恵まれた土地柄だが、現在の重要な産業は観光。シアトルから東南アラスカの各都市を結ぶ、アラスカ・マリン・ハイウェイの最初の寄港地がこのケチカンであり、夏には数々の豪華客船が港にやってくる。ここでは自然景観に加え、クリンキットやハイダなどのインディアンが残したトーテム・ポールも楽しめる。雨量の多い地域のため、フィヨルドの景観が霧のベールに包まれ、荘厳さと神秘的な美しさを見せてくる。
10:00前、高野君と連れだって下船。ケチカン観光へ出かけた。先ず観光案内所へ寄って市内マップを貰おうと思ったら、さすが観光の町ケチカン。ピッタリのウォーキングマップがあった。このマップを片手に先ずホエール・パークへ行った。

ホエールズ パーク
クジラ公園というから随分大きなもののようだが、ガイドブックに見落としそうな小さな公園と書いてあった。...が予想以上に小さな公園であった。クジラの形をした公園で、一番広いところで幅20b長さは50bほどであった。
この公園のトーテンポールに触れると、思わぬお金が手にはいるとのこと。世界一小さな有名な公園でしょうか。もちろん高野君も私もこのトーテンポールに触ってきました。公園内には何種類もの春の花々が咲いていました。チューリップが丁度見頃でしたから、日本の4月半ば頃の陽気でしょうか。バンクーバーもチュウリップが見頃でしたから、同じくらいの陽気と思われます。寒いだろうとセーターにヤッケを着て行きましたが、みんな脱いで、ワイシャッツ1枚で見て回りました。
次はトンガス歴史博物館。直ぐその辺にあるのにどうしても見あたらない。「博物館は何処だ?」とアイヌの 現地人に聞いたら、川沿いに15分ほど歩いたところだという。そんなに歩くのはおかしいと内心思いながら教えられたとおりに歩いた。途中、マップ片手のご夫妻で歩いているアメリカ人が居たので尋ねたら、何と彼は日本語の話せるアメリカ人であった。私達とは違う船で来ているとのこと。アイヌの教えてくれたのは目的としていたトンガス歴史博物館ではなく、トーテム遺産センターであった。ここも見学する予定であったが一番遠いので最後にまわる予定であった。アメリカ夫妻とマップを見合いながら、一番訪ねにくいトーテム遺産センターへ行き着いた。

トーテム遺産センタ
このトーテム遺産センターはオリジナルのトーテムポールコレクションとしてはアラスカ最大で、昔のクリンケット族やハイダ族の村から集められた33のトーテムポールが陳列されている。
ここは鮭が遡上するケチカン・クリークの上流にあり、このセンターの直ぐ近くで遡上してきた鮭が採卵場へ誘導されるようになっていた。
ここを起点にして、クリ−ク・ストリート→シビックセンター(市民センター)→トンガス・歴史博物館→ダイアモンド・ショップと見て回った。帰船は2:30。約4時間の散策であった。
ダイヤモンド・ショップは入り口に、赤い衛兵の制服を着て銃を持った人がお人形さんのように立っていた。内部はフォーマルスタイルの店員が3〜4人、客は2組ぐらい。アノラックをぶら下げた私達には異質の世界のように感じられた。さすが物見高い高野君もビビって「ここは止めておこう」と言うことになった。ショウ・ウインドウからダイヤモンドの飾りを眺めた程度であった。貧乏くさいお二人さんでした。

クリーク・ストリート川縁はこのような商店街になっている

丘の上にある市民センターから見た山の風景

クルージング
■7日目 5月17日 金 曇り

船上から
終日クルージング
昨夜より今朝にかけて船は今までにないほど揺れていた、朝食に行く足下がおぼつかない。右に左に2日酔い気分であった。9階から14階にいたこともある。5階辺りだと揺れはもっと少ないだろうと思われる。今日は最後のクルージングなので船内にもいろいろの催し物があったが、船の催し物には参加しなかった。
デッキから波の向こうに見える島、大陸、森、林、港、集落、を眺めた。天気は曇り、黒く淀んだ海には白波が立っていた。船からの景色はバスなどとは違って変化は少ない。同じ様な状態が続くのでそれだけ眺めていても飽きてしまうから、ゲーム室で囲碁をしたり、店をのぞいたりして過ごした。
外国旅行で気を揉むのはチップである。旅行社で一括出してくれるところもあるが、原則的には個人の判断でやるものである。今回の旅行では、最終日にチップを一括きめられた額を支払うことになった。これは有り難いことでした。私はクレジットカード支払いなので自動的に引き落とされるが高野君は現金払いにしたので、明日の分を含めて会計を済ませることにした。チップは1日10$でした。タカ−イ、サービスも良いが。

帰国
■8日目 5月18日 土 晴れ
バンクーバーへ7:30頃入港。下船は予想以上に手間取り1時間以上も待たされた。空港ではセキュリティが厳しく、じーっと立ちつくして順番の来るのを待っていた。これも旅の内か。旅のしにくい世の中になってきました。機内は二階、非常口に面したシートでしたからのびのびと足を伸ばして過ごせた。これはラッキー。
■9日目 5月19日 日 曇り
成田空港14:00着、長野中央タクシーで帰宅 タクシーの乗客は二人だけ、我が家へ直行。愛犬クウ君は尿をシビリながら歓迎してくれた。旅は終わった。

エピローグ
アラスカ【Alaska】
北アメリカ大陸北西部にあるアメリカ合衆国の州。アリューシャン列島を包含し、ベーリング海峡を隔ててソ連のデジネフ岬と対する。面積151万平方キロメートル(日本の面積の約4倍)。州都ジュノー。1867年ロシアから買収。石油・木材を産する。合衆国の最高峰マッキンリー山がある。人口62万人。
アラスカの旅は終わった。何か感じの上からは随分遠い国のように思われるが、日本からは比較的近い国である。バンクーバーからの船旅だったから、予想通り楽な旅であった。
フィヨルド、インサイドパッセージ・クルージングはもっと素晴らしい景観だろうと思っていたが生憎の天候で思ったほどではなかった。雨量の多いところだからこの様な天候が多いのではないかと思われる。………が今航行しているここが氷河の跡であると思うと感慨がひとしおであった。
地球温暖化の危機が叫ばれているが、氷河の末端が海や湖に溶け込んでいく断末魔に接し、その必要性を痛感した。アラスカの動物に接する機会には恵まれなかったが、まだ手つかずの大自然が残っているアラスカの大地を、私達人類のために また そこに住む動物たちのためにも大事にしたいものである。アラスカでもそのような気運が高まり、ケチカンの製材工場も閉鎖が余儀なくされている現状である。温暖化防止にどのように取り組んでいったらいいのだろうか、今後の大きな問題である。
高野君からの誘いのお陰で、アラスカの大自然に接する事が出来ました。カナダのバンクーバーもよく分かりました。有り難うございました。その他添乗員の杉山さん、ルームサーバー等お世話になった皆さん方に感謝申し上げます。思い出に残るよい旅が出来ました。

|