カナダ
1997年(平成9年)5月23日〜5月31日

プロローグ
 前回のアフリカの旅の途上で、世界を股に掛けて旅をしてきた高野君が、今までの旅の中で一番良かったのは、カナダだという。小林文治君も未だカナダは行ってないとのこと、行くときは一緒に行ましょうと話し合ったのが、そもそもこの旅の発端である。カナダは、アメリカ合衆国とアラスカとグリーンランドに挟まれた広大な国であるから、カナダの旅といってもアメリカ本土に添った南端を西から東へと通過しただけの旅である。この旅のメインはカナディアンロッキーとナイアガラの滝である。

国名(英語) CANADA
首都 オタワ
面積 997万610平方q(日本:37万8千平方q 日本の約27倍)
人口 約3028万人
時差 地域により6つの時間帯がある。太平洋標準時:日本時間マイナス17時間。

バンクーバー
1日目 5月23日 金   成田→バンクーバー
 太平洋の真ん中で日付変更線を通過したので、成田を出発したその日にバンクーバーの市内見学をした。バンクーバーは、カナダ南西部、太平洋岸にある港湾都市。日本からはとつきの市である。周辺部をあわせると人口は160万にのぼりトロント、モントリオールに次ぐカナダ第三の都市である。
 街中は結構アップダウンがあり日本には数少なくなりつつある小さな専門店が目に付く。また広東系のチャイナタウンがあり、漢方薬、食品、中国料理など、何でも手に入るそうである。シンガポールへ行ったときにも感じたことだが、中国人のたくましさは、世界の何処でもチャイナタウンを創り繁栄していることである。

エリザベス公園
  バンクーバーは、近代的な都市と自然がマッチした魅力的な街である。その一つがクイーンエリザベス公園とスタンレー公園の豊かな自然である。それぞれの公園では、バスから降りて散策した。 雨上がりのエリザベス公園は、針葉樹の濃い緑が目をひく、メイプル(砂糖楓)の若葉が風に揺れ、また 色とりどりの花が咲き乱れていたりして、何時来ても楽しく散策できるように工夫されていた。
 スタンレー公園は広大な(日比谷公園の25倍)また 自然が豊かな公園であった。ここには、この州
 に住むインディアン8種族それぞれの個性的なトーテンポールが立っていた。
トーテム‐ポール【totem pole】
北アメリカの北西沿岸インディアンの間で、自集団の神話的起源をトーテム動物などの彫刻によって標示した柱状のもの。家屋や集会所の門前あるいは墓前に立てられる。
                ウェスティン ベイショワーホテル泊
夕食はロブスター料理。ホテルの窓から見下ろすバンクーバー港の夜景はきれいだった。

カルガリー
2日目 5月24日 土 曇り
  空路→カルガリーへ→バスでバンフへ  バンフ泊
 カルガリーオリンピック公園:1988年の冬季オリンピックをきっかけにして躍進した近代都市である。人口70万、カナダでは5番目、カナディアンロッキーのゲイト都市である。小雨の降る中公園の中心にあるオリンピック記念館に車を止めた。ジャンプ台3基が遠くに見えた。周囲は広々としていて緩やかな起伏のある平原は、クロスカントリーには最適のように思われた。カルガリは『牛の街』と呼ばれるそうだが、この平原を牧場にして牛を飼育しているのであろう。小林君と1C$のカナディアンコーヒーを飲んだ。お金を払って後はセルフサービスになっていた。薄くて、不味くて、量が多くてバスの中まで持ち込んでやっと飲んだ。

バンフ
 カナディアンロッキーを眺めながらバスでバンフへ、ガイドは宮冨さんと言い兵庫県出身、足長の美人、25〜6歳、和田明子のような感じの人であった。明快に解説してくれた。彼女はカナダはソ連が崩壊した現在世界で一番広いと言っていたが、その後調べたらそれは間違いで、ロシアは日本の約45倍もの広さがある。(カナダは約27倍)ガイドの話もそれでいいのかな?と思ったら、調べてみる必要はあるものですね。人口は東京都千二百万人の2・5倍三百万人だと言っていた。

バンフの町並み
 バンフのこの辺り一帯は公園になっているらしい。バンフはロッキーの山々に囲まれ、広い道路の両脇に、造りの良い小さな土産物店が軒を連ねている美しい街である。多分観光の街であり公園の一角だから、建物の制限がある様に思われた。小雨降る街並みの向こうにはロッキーの雄大な山、カスケードマウンティンが、霧に煙って聳え立っていた。日本人経営のコウヤマという店で、カナダ特産のメイプルシロップ他を購入した。小林君はここで買ったインディアンの壁掛けが、ホテルで見せて貰ったらメイドインUSAのラベルが貼ってあった。彼はそのラベルを剥がした.......が?。 その後、カナダ産とかアメリカ産とかは、それ程こだわらないカナダであることがだんだんに分かってきた。                                   ラディソン クーベルヌールホテル泊
 夕飯は当アルバーター州でとれた、アルバーター牛ステーキであった。歯ごたえがあり、味は淡泊美味しかった。ローカルビールを注文したら、バドワイザーを持ってきた。バドワイザーは家でもよく飲むビールだが、アメリカ産だかカナダ産だかの知識がなく、飲み始めてから見たらアメリカ産であっ
 た。どうもこの辺りは、アメリカ産でもローカルビールのようである。

カナディアンロッキー
3日目 5月26日 日 曇り   カナディアンロッキーの観光
 ここには三千b級の峻峰が連なり、無数の氷河や宝石のように輝く湖水、また 大陸分水嶺がある。これらの自然の造形は世界遺産にも登録されている地球の宝である。名ガイド宮富さんの解説でバスの車窓から、ロッキーの山谷、氷河、湖を眺めながらの観光であった。目的地はコロンビア大氷河から流れ出ているアサバスカ氷河である。

写真はロッキーの山肌
 昨日までは雨で山の頂までは見えなかったとのこと。晴れ間も出たりしてまあまあの観光日和であった。この辺りの森林限界線は二千百〜二千三百bとのこと、ちなみに日本の富士山は二千七百〜二千八百bである。この森林限界線を見上げる状態から見下ろす位置へと上るにつれて山の頂も間近に見えてくる。山肌には厚い地層が走り、地層の積み木のような模様が見事である。ロッキー山脈は中生代に褶曲作用を受け、新生代第三紀の造山運動で隆起したものである。

レイク・ルイーズ湖
 レイク・ルイーズは、ロッキーの宝石とたたえられる湖である。今年は、寒気が強く季節が遅れているとのこと。湖の大半は未だ雪に覆われていた。残念ながら、宝石のような湖水を見ることは出来なかった。岸辺は雪が解け、その水面にロッキーの山影を逆さに写していた。その辺りをバックに撮った写真を見ると結構な湖水に見えた。ボーレイクも同様であったが、湖畔には可憐なキク科の白い花が咲いていた。湖面は雪に覆われていたが湖畔には春の花が咲き始めていた。この様に氷河から流れ出した水をたたえる湖水は雪に覆われている状態であったが、ハーバードレイクのような湧水による湖はエメラルドの水を満々とたたえ湖面にロッキーの山影を写していた。これらの湖での釣りは7月1日が解禁日。餌釣りは禁止、ルアー釣りはよい。ガイドの宮冨さんも休日には釣りをすると言っていた。私もやってみたい…が、暇はあるが金がない。
   
アサバスカ氷河:バスから幾つかの小さな氷河を見ながら、ボウ峠を上って下るとアサバスカ氷河であった。アサバスカ氷河では青空も出て、空の青さと光に輝く氷河が眩しい。氷河末端にある湖はグリーンにホワイトを混ぜたような色をしていて神秘的な感じがした。アサバスカ氷河はコロンビア大氷原から流れ出している数多くの氷河の一つである。でっぷりとして迫力満点、愛想の良いカナダ娘の 
滝壺での小林君
 運転する雪上車で、この氷河の滝壺に降り立った。
滝壺の氷の厚さは300bもあるとのこと。ちょろちょろと溶けて流れ出している氷河の水を飲んでみた、冷たくて旨い水であった。何千年何万年もの昔の水であろうか。その向こうには想像もできないほど広大な大氷原があるのである。私の立っているこの広大な滝壺の辺りはコロンビア大氷河の一点に過ぎない。遠く続く氷河の上の空は狭く周りをロッキーの峻峰が取り巻いている。ここでの私達観光客は、大地にうごめく蟻のような存在である。歩いても歩いても同じ場所にいるような感じであったが、これが大氷河の点的存在なのである。地球の温暖化等で、この60年間に氷河の末端は、1500bも後退したそうである。この様な氷河の現状からも、私達はかけがえのない地球をもっと大事にしたいものである。
    "アサバスカ これが氷河か 五月晴れ"
昨日と同じバンフのホテル泊。夕食はサーモンステーキ それ程旨いとは思わなかった。

ケベックシティへ
4日目 5月26日 月 雨後晴れ   移動日
 バンフ→カルガリー→モントリオール乗り替え→ケベックシティ泊
朝早く雨の中を出発。バスの中では、「昨日でなくて良かった」と参加者の声、ボー川の向こうに聳えるロッキーの山並みも霧雨に霞んでいた。カルガリーも雨。モントリオールへの機内で時計を2時間進めた。経度30度東へ移動するためである。
 乗り換えで降りたモントリオール空港は、すっきりとして感じの良いロビーであった。二階にはスナック的な小さな店があり待合い時間を楽しく過ごされるように配慮されていた。またスモーキングエリアもあって、たばこ吸いの私には何よりも嬉しかった。機内は、全席ノースモーキングシートである。モントリオールからケベックシティまでは、横4シートの小型プロペラ機であった。ケベックシティに近づくにつれて晴れ間が出てきた。ケベックは晴れ。空港からホテルまでは高速道路をバスで30分。7時過ぎの夕日に輝くケベックの街並みを眺めながら。

ケベックの町並み:ホテルの窓から 
 ホテルの窓は南に面し、左手に台地に立つ街並み、目の前に教会があり、右手はセントローレンス川へと続く街並みが美しく眺望できた。特に夜景が美しかった。小林君は夜景をカメラで撮っていたがどんな出来だったのだろうか。     ラアデイソン グーベルヌール ホテル泊

5日目 5月24日 火 快晴       ケベックシティの観光
ケベック【Qubbec】
カナダ南東部の都市。同名の州の州都。セント‐ローレンス川に臨み、大西洋航路の重要港。一世紀初頭にフランス人が開拓、一八世紀中葉にイギリス領に編入。現在でもケベック州住民の割以上がフランス系。人口一六万六千(1981)。

この街は世界史遺跡に指定されている。ケベックとは狭くなったところの意。その名の通りセントローレンス川の川幅が急に狭くなる断崖の上に広がっている城塞都市である。

ダルム広場のシャンプランの銅像
 この地を最初に発見したのはフランス人探検家、サミュエル・ ド・シャンプランでした。1608年にシャンプランは毛皮交易の基地をつくってから、人が入植し街が出来た。その後英仏が植民地を巡って衝突。以来 植民地時代の戦闘の面影と古き良きフランスの香りを今に残している。フランス語圏である。午前中は、新市街(セントローレンス川の展望、州議事堂、戦場公園、グランダレ通り)旧市街(ダルム広場、ノートルダム聖堂、プチ・シャンプランのショッピングタウン、ケベック要塞の周辺)の観光。午後は、郊外(モンモラシーの滝、オルレアン島、銅製品博物館、聖アンヌ大聖堂)をオプション80$で観光。
 セントローレンス川:川辺にある展望台から、川が急に狭くなっている部分を中心にして、川そして川の中州にあるオルレアン島を眺めた。このセントローレンス川の川縁がカナダの心臓部で、人口の半分が集中している所である。ナイヤガラの滝の水も、オンタリオ湖を経てこの川に流れ込んでいる。また河口のセントローレンス湾には赤毛のアンで有名なプリンスエドワード島がある。全長1198q。
 
州議事堂前でヨハネスさんと
 ガイドのアシスタント?だろうか、ヨハネさんというケベック出身の女の子が同行していた。彼女は静岡県の教育委員会に所属して中学校の英語のアシスタントをしていた事もあると言っていた。日本語はたどたどしい面もあるが、まぁまぁ話せるので、あれこれとケベックのことを教えて貰った。州議事堂前で彼女と一緒に撮った写真を見ると、真面目そうないい顔をしている。実物より写真の方が美しく見える彼女である。彼女はフランス語、英語は勿論日本語も分かるのだからたいしたものである。


ホテルシャトー・フロントナック
 ダルム広場:シャート・フロントナックホテルの前に広がる旧市内観光の中心地。広場のあちこちで大道芸人がいろいろなパフォーマンスを繰り広げていた。噴水があったり、広場の一角にはこの街の発端になったシャンプランの銅像が建ち、観光バスの発着場にもなっている。
  シヤート・フロントナックホテルは赤煉瓦の壁と青銅の屋根で出来ていて、その外観は中世の城そのものであり、街のあちこちからその偉容は見えた。私はケベックの中で一番美しい建造物のように思えた。その近くのレストランでフランス料理を食べた。どんなものかは忘れたが、それほど旨いとは思わなかった。
 
シャンプラン通りで小林君と
 プチ シャムプラン通り:シャート・フロントナックホテルに続く城壁の下にあるショッピングタウンである。ここは『北米最後の繁華街』とも言われている。路地の両側には、しゃれたレストランやカフェ、陶器などの店がぎっしりと軒を連ね、パリの街角のような雰囲気である。小林君はここでメイプルシロップを購入した。店のおばさんはにこやかで愛想がよく、「ジス ハウマッチ」などと聞くと、必要以上の大きな声で、聞いた以上に話をする明るい感じの人だった。
 疲れたので街角のカフェの前のベンチに腰を下ろして一休みした。店先のテラスの客にサービスをするウエイトレスは、小林君好みのフランス美人であった。時の経つのも忘れて「あ!出てきた」とか言いながら楽しい、ただ(無料)の一時を過ごした。
 
モンモラシ−の滝:遠景
 午後はオプションで、ナイアガラの滝より落差がある、モンモラシーの滝から見て回った。遠くから見たり、下から見上げたり、橋の上から見下ろしたりした。水量が多く滔々と落下する滝はどこから見ても美しい滝であった。辺りの緑の樹木に水飛沫が映え、滝壺の辺りは虹が架かっていた。この滝の上から見下ろす位置に、セントローレンス川の川中島であるオルレアン島がある。オルレアン島へ渡る橋の上からもこの滝はよく見えた。
         "滝壺の 若葉は虹に 照らされて"

 オルレアン島は、全長34q幅9q、人口は5千人の島。農業を中心とする牧歌的な生活が営まれている。バスで島を一周したが、島の人々には誰にも会わなかった。

オルレアン島の農家
 切り妻屋根の農家が緑の木陰に点在し、小さな教会もあった。造りの良い小さな家はどの家にも地下室があるとのこと、これは冬の寒さに備えたものである。冬はずいぶん寒いようです。
 河畔に車を止め、セントウローレンスの河原に降りて水に触れてみたり、対岸のケベックシティを眺めたりした。ケベックの観光がすんでいるから、ここから見るとその位置関係がよく分かった。別荘地だろうか優雅なサマーハウスが2〜3軒建ち並んでいるような所もあった。メイプルの林や苺畑もあり、まさにフランスの田園風景そのものとガイドブックに書かれていたが、それらしいものは見あたらなかった。

自家製のメイプルバターとパンを売り物にする、ケベック郊外の小さな店で、おやつを食べた。その店の前にメイプルの林があった。それは白っぽい木肌の楓であった。私達は木肌を撫でたり、叩いたり、また 星形の柔らかな若葉に振れてみたりした。
   
モントリオール
6日目 5月28日 水 快晴    ケベックシティ→モントリオール
 今日も良い天気である。ケベックシティから列車でモントリオールへ、
列車の窓から広々とした牧場や農園を見ながらモントリオールへ向かった。同行の小林安子さんに、「牛のいる牧場の写真を撮って」と言われたが、チャンスがつかめず遂に撮れなかった。農家が時折点在し、農園には人影は見あたらない。未だ時期的に早いためだろうか。牛の遊んでる牧場も極めて少なかった。春未だ浅く、作付け前の農園であり牛も牛舎で飼育されているのだろうか。地平線まで続く草原の中を、列車はモントリオールへ向かって走った。


高台から見たモントリオール市街
 モントリオール:セントローレンス川の川中島であるモントリオールは、人口三百万、トロントに次いでカナダでは第2・ケベック州では第一の都市である。フランス語が公用語。
 旧市街を中心に、ドーチェスター広場、ノートルダム大聖堂、モン・ロワイヤル・パーク(高台にあってモントリオール市街が展望出来る公園)などを見て回った。
 昼時の町には人があふれ、行き交う人々には活気が感じられた。旧港や小さな公園の芝原には、h春の陽光を楽しんでいる人々。またドーチェスター広場周辺では、食堂のテラスで、食後のコーヒーを飲みながらくつろいでいる人々、5人乗りの乳母車に子供ぞろぞろと乗せて押していく婦人、ローラスケートで走り回るも若者、観光馬車、上着を肩に担いで半袖シャッツで颯爽と歩いている紳士など等。長い冬から解放された春の息吹が、これらの人々の姿からも感じられた。この広場の近くのレストランでフランス料理を食べた。

ノートルダム大聖堂  
教会:大きな教会は三つほどあるが、その内の一つであるノートルダム大聖堂を見学した。1829年建立のこの聖堂は旧市内最大の見学のポイントになっている。聖堂の内部は、天井の青色とステンドグラスが神秘的な感じがした。世界最大級のパイプオルガンがあり、これを使って定期的に演奏会も行われているそうである。また内部ではストロボで写真を撮ってもよく、このように外部に開かれた教会であった。日本の社寺もこの様な面を見習い、施設を外部に公開し一般の人々が利用したり、お寺のご住職さんが無料で説法会を定期的に開催してお経の精神を普及するとか施設の活用をはかりたいものである。宗教的な信心の中から、敬虔な心情を育成することは我国の現状からみて必要と思うが…どうだろうか。                 マリオット シャート シャンプランホテル泊

ナイアガラの滝
7日目 5月29日 木 曇り        ナイアガラの滝の観光
 モントリオールから空路トロントへ、トロントからバスでナイアガラの滝へ。
オンタリオ湖の岸辺を走り、昼前にナイアガラの滝へ着いた。ガイドはおしゃべりの気のよさそうな青年だったので、単調な高速道路も飽きることなく過ごせた。
ナイヤガラの滝:エリー湖を源流に持つナイヤガラ川がオンタリオ湖に流れ込む途上に出来た滝である。カナダとアメリカの国境に位置し、南米のイグアス、アフリカのビクトリアと並ぶ世界三大滝の一つである。アメリカ滝とカナダ滝の二つにゴート島を境にして別れている。
カナダ滝を正面に見て左側がアメリカ滝である。アフリカのビクトリア滝では、乾期のため水量が少なく、迫力はもう一つであったが、今回は雪解け水も加わり、水量は平常よりも多く、迫力は十分だった。

カナダ滝
 滝を上流から見たり、横から見たり、また 霧の乙女号に乗船して、滝の飛沫を浴びながら滝壺から見上げたりもしたのでカナダ滝なるものを十分に体感することが出来た。何回か来たことのあるおばさんの話によると天気が曇りなので、落下する滝の色がエメラルド色でより美しく見えるとのこと。夏に来たときは水量が少なく、迫力はこれほどではなかったとも話していた。
  カナダ滝は馬の蹄の形をしていることからホースシュー滝とも呼ばれ、幅約675b落差56b、滝壺の深さは約30b。
  アメリカ滝は、アメリカ側にある滝で水量はカナダ滝に及ばないが、滝壺はごつごつした岩場になっているために、水が岩の間を渦巻くように流れ落ち、垂直に水が落下していくカナダ滝とは異なる眺めである。幅約320b落差58b。
 滝の観察順序は大変良くできている先ず上流から、大量の水が泡立ちながら、滝の所で消えて無くなる様子を見て、すごいと思い。次に横から馬蹄形にへこんだ様子と垂直に落下する様を観察して美しいと感じ。正面からカナダ滝とアメリカ滝を観察して、なるほどと理解し。最後は船に乗って両滝の滝壺の近くまで近づき、水しぶきを浴び、霧に濡れながら「わあー!わあーー!!」と歓声を上げ、その歓声も滝の轟音に飲み込まれていく迫力に浸れるように仕組んである。やあ!まあ!すごーい滝でした。
   "雪解けの 飛沫を浴びて ナイアガラ"

トロント
 トロント:アメリカ合衆国と隣接するトロントは、サミットが開催されたこともあるカナダ最大の国際都市。トロントの名は、先住民の言葉で、『集いの場所』を意味し、古くから毛皮の交易の場所として栄えていた。世界50カ国からの移民があり『人種のモザイク』と言われるほど多種多様の民族から成り立っている。
バスで市の中心を車窓から見学した。その中で印象深かったのはダウンタウンにそびえ立つスマートなCNタワーである。このタワーは世界一の高さを誇り553bの高層建築物である。また上空から見ると人の目のように見える市庁舎も、なかなか立派な近代的なビルディングであった。


オンタリオ州議事堂
 オンタリオ州議事堂では、車から降りて、その外観と周辺を見て歩いた。ここからもCNタワーが見えた。さすがトロントのシンボルだけのことはある。この議事堂は1893年に建てられたもので、ロマネスク様式の凝った造りであった。直ぐ近くにはトロント大学があり、キャンパスが議事堂の敷地と続いているように見えた。議事堂と大学に囲まれたこの一帯は公園なっていて、芝生の手入れも行き届いていた。色とりどりの花が咲き乱れ美しい公園であった。

ロマネスク【Romanesque】 中世、一一世紀から一二世紀中葉にかけて南フランスをはじめ西ヨーロッパ諸国に行われた建築・彫刻・絵画の様式。ゴシック様式に先だち、教会建築を中心とし、古代ローマやゲルマンの諸要素と共に、東方趣味の影響をも受けている。

 この後日本人経営、革製品の製造販売をしている店でショッピングをした。お金持ちの皆さんは十数万円もするコートを買った方もいらっしゃったが、私は着ていく所もないし、お金もないのでただぼんやりとして過ごした。ガイドはバスの中で、品も良く、安いから絶対に買い得ですとPRし、店内では、店員が執拗に勧めるような面もあり好感は持てなかった。
 明日は帰国。夕食は日本料理のさよならディナー。寿司や味噌汁の味はそれ程でもなかったが、ウエイトレスは、中国人・韓国人・日本人の和服姿の美人、これはよかったね!。例によって、やっぱり小林君が一番もてました。ロシアと北欧で研鑽した、対女性の社交術が見事に結実したのであります。はい!。                         トロント/ウェスティン プリンスホテル泊

帰国
8日目 5月30日 金  帰国
 トロントから空路帰国の途に着く。日本までは日付変更線を越えて15時間の旅である。途中カルガリーで一休みして、後はシートに釘付け、小林君と囲碁をしたりの機内であった。飛行機は、アラスカの上空を通って日本へ、「ただいまアラスカの上空です。」とアナウンスがあった。アラスカは未だ氷雪の中、雄大な渓谷、青い海に氷塊が所々に浮かび、船が白い航跡を残して走っているのも見えた。ここは、また来てみたいところである。

9日目 5月31日 土 晴れ 
 カナディアン航空015便にて無事帰国、成田着午後2時、トロントから15時間の旅であった。家まではこの後電車で5時間、足がむくんで押すとへこんだ。
飯山線蓮駅着午後8時22分。駅へは女房が迎えに来ていてくれた。上の孫5歳はまだ起きていて、ボールペンのささやかな土産を喜んでくれた。
   "旅終えて 酒の肴に キュウリもみ"

エピローグ
 小林君をはじめ小林安子さん、北村さん、上品な英語の達者な母子コンビの方、エリートの姉妹奥さん、何でも知っている新潟県のご夫妻、添乗員他諸々の皆さん方のお陰と また 天候にも恵まれ、楽しく有意義な旅が出来ました。感謝です。
今回の旅はロッキーは白と黒、ナイアガラは白とエメラルドそんな色の感じがしました。秋ならどうなの
 でしょう?きっと赤と橙と茶がたくさん入るのではないでしょうか。いずれ又、機会があったら他の季節にも訪れてみたいものであります。
 梅雨の最盛期、降り続いた雨も今日はほっと一息、晴れ間をみて、長く伸びた土手の草を刈りました。



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