高遠城跡お花見ドライブ
平成17年4月18日〜19日

1.プロローグ
年1回の仲間の旅は 紅葉の頃出羽三山巡りをする予定であった。がN君の提案で急きょこのお花
 見ドライブが実現した。
日本三大桜の名所は吉野山、高遠城址、弘前城址の桜です。吉野山は下1000本、中1000本、上
 1000本、奥1000本の山桜。高遠城址はコヒガンザクラ1500本。弘前城址はソメイヨシノ5000
 本。だそうです。
4月18日 その高遠城址へ1名は東京から高速バスで、他の4名は自家用車で行った。自家用車組
 は伊那ICの出口、高遠の町で渋滞、予定時間を2時間30分オーバー、高速バスは1時間のオーバ
 ーでした。高遠で1泊し翌日は杖突峠から諏訪市へ出て帰宅。

2.日程と所感
○4月18日

民宿山吹荘
ここで東京から高速バスで来たK君と合流。遅い昼食を食べて、徒歩6分 高遠城址へ出かけた。


公園をバックにして
桜は満開 無風 晴れ 最高のコンディションであった。ここは公園の入り口、入園料金は¥500円、
 絵島の囲み屋敷と博物館がセットになっている。



公園のコヒガンザクラ



この薄桃色のさくらは女性に人気があるとのこと。



ライトアップされた夜桜
夕食後夜桜を見に行きました。小雨がぱらつき 雷の閃光が一瞬桜の花びらをかすめていきました。
 それもつかの間雨もやみ 真っ暗な夜空に照明灯の光が湧出たような満開のコヒガンザクラを演出
 していました。
K君が「ワンダフル!!」 また言いました「おお!ワンダフル!!」・・・・・・・・すばらしい夜桜でした。
その良さが君のワンダフルでより感動的に観ることが出来ました


○4月19日

翌日19日は杖突峠から諏訪市へ出た。杖突峠は中央構造線を後から出来た糸魚川静岡構造線が
 交わるところに出来た断層崖の上にある。この峠は茅野市から観ると山並みがVの字型に凹んでい
 て中央構造線の突端が確認できる。峠を茅野市側に下り始めたところに峠の茶屋がある。ここから
 の眺望は県下屈指の名所である。左下に見える諏訪湖は中央構造線を糸魚川静岡構造線がねじり
 窪みを作って出来た湖水と言われている。湖底の岩盤までの深度は相当深いようです。



諏訪上社本宮 本殿(重要文化財)
峠を下り終えた近くにある。ここは上社と下社併せて諏訪大社と言いその上社です。祭神は大國主
 神を父に持つ建御名方神 信濃の国を創った神さまです。
神域は私が予想していた以上に広くその四隅には御柱が建てられていた。2本は間近で観られたが
 後の2本は木陰で確認できなかった。



諏訪上社の案内板



上社本宮 参集殿
はじめはここでお参りをするのかと思ってお賽銭箱を見つけたが見あたらなかった。立派な建物であ
 ったがここは会議をする場所のようである。
内部の右側に千代の富士、左側に若乃花の等身大の写真が掲示されていた。この神社は勝負に勝
 てるように祈願するところのようです。



吉良義周の墓
諏訪上社大社本宮の入り口に法華寺があります。この寺に吉良義周(よしちか)の墓があり参拝し
 た。吉良上野介(こうずけのすけ)の跡を相続した養子の義周(よしちか)は赤穂浪士の吉良家討ち入
 り事件の処置をとがめられて高島藩へ配流され21才で他界した。これにより吉良本家は断絶した。2
 1才の若さで他界した彼の人生 これも運命というものでしょうか。



高島城跡と天守閣
諏訪上社本宮から、湖畔にある原田泰二美術館を観て高島城跡へ行った。市役所から道路を挟み
 隣接して高島城がある。石垣の下の堀は諏訪湖のあった名残。天守閣は再建されたもの 鉄筋コン
 クリート造り。
ここも桜は満開であった。同行のN君は「ソメイヨシノの白い花も良いですね。」と 全く同感。公園の
 芝原では連れの家族などが三々五々くつろいでいる群像に太平が実感させられました。N君は「こん
 なところで子どもを遊ばせたいね」と言っていた。



高島城絵図
高島城は別名「浮城」とも言いう。城の周囲が諏訪湖に囲まれていたためです。復元された天守閣に
 このような絵図がありました。天守閣は絵図の上端右側です



高島城の天守閣をバックにして
高島藩城主は徳川時代から明治の廃藩置県まで諏訪氏でした。


3エピローグ
この後 秋の再会を誓い合いそれぞれ帰宅 
上諏訪駅からK君は帰京。自家用車組は岡谷ICから帰宅。
たった1泊のお花見ドライブであったが、友情を暖め合い また 吉良義周を始め新たな発見の多い
 有意義な旅であった。

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