京都・若狭湾他

2001.11.13~16 3泊4日

プロローグ
今年の旅はどうしようかと迷っていた。・・ら 東欧の旅の中で高野君が、「小林君が京都の修学院離
 宮なら宮内庁へ手続きをしてくれるそうだけど、京都はどうかね?」 と話があった。これは渡り船。高
 野君との話の中では、秋の京都もいいんじゃないの。.....となった。帰国後中曽根君や小林君と
 相談して今回の旅のデザインが始まった。
  テーマは「紅葉の光と陰を求めて」サブテーマは「うまいものを喰って」。
京都は鞍馬寺、赤山禅院、修学院離宮、桂離宮、嵐山高雄パークウエイを通って高尾山神護寺の見
 学、何れも紅葉の名所である。
R162 紅葉の美しいという別名周山街道を経て福井県の若狭湾国定公園にある三方五湖を見て、
 滋賀県まで戻り彦根城の見学。
 紅葉は時期的にピッタリ、京都は何処も素晴らしい紅葉が私たちを迎えてくれた。周山街道は未だ
 早め、思ったより駄目。
 食う方は懐石料理、¥2500円の天ぷら定食の昼食、若狭湾の活魚料理など満足するものであっ
 た。
出発
2.日程と所感
■11月13日火 晴れ 出発
朝5:30出発、高野君宅6:00,中曽根君との待ち合わせ場所、更埴ICへ定刻20分前の6:30に着
 いた。高野君と今日の走行コースなどについて打ち合わせをして待った。.....が 定刻になっても
 中曽根君は来ない。寝忘れたかなと思ったら、やはりそうだった。目覚まし時計をオンにするのを忘
 れてしまったとのこと。これは彼のいいところ。独り者はこの様なときは気苦労なものだと思います。
 京都東ICから市内へ。今日の宿舎堀川会館着12:20、予定より20分遅れ、まあまあである。東京
 から新幹線で来た小林君はすでに来ていた。これで今回の旅仲間4名が無事合流できた。
 一休みして鞍馬寺へ向かった。今回のテーマ「光と陰の美を求めて」の「陰」に該当する部分であ
 る。片道3車線の堀川通りを北上した。京都市内は車は多かったが、一般的に走りやすかった。
鞍馬寺
 京都の鞍馬山の中腹にある鞍馬弘教の総本山。もと天台宗。本尊は毘沙門天。770年(宝亀一)鑑
 真の弟子鑑禎の創建という。平安京の北方鎮護と京人の福徳の寺として信仰を集める。融通念仏の
 地として知られ、竹伐り・火祭などの行事は有名。
【鞍馬の竹伐り】
 6月20日、京都の鞍馬寺毘沙門堂で法師らが東西に分れ太刀で雌雄の蛇に擬した青竹を伐り、
 遅速によって勝敗を争う儀式。竹切の会式(エシキ)。鞍馬蓮華会。
【鞍馬の火祭】
鞍馬山の由岐神社で、10月22日に行われる火祭。多数の松明(タイマツ)をともし神輿を渡す。


山門
私は源義経(牛若丸)が天狗に剣術を教わったとか、大仏次郎の「鞍馬天狗」が勤王の志士で、新撰
 組に対抗してかっこいいチャンバラなどで馴染みがある。 小林君は2回目、他の皆さんは初めて。
 はじめはケーブルで登り。あっちの堂を覗き、こっちの社で拝み、見事な紅葉に見とれてカメラのシャ
 ッターをおし。宝物殿で「平安時代の仏像は.....」等仏像の見方などを知ったかぶりして話し合っ
 ている頃はよかった。.....が この受付のおばちゃんが「奥の院はじきそこですよ」と言う甘い言
 葉に騙されて、木の根を踏み分けて、急な坂道をフウフウ言いながら奥の院魔王殿へと向かった。


鞍馬寺本堂
くたくたになって奥の院から帰る途中、下から登ってきた大阪のおっちゃんが関西弁で「どこから来た
 か」と聞くから「長野だ」と言ったら「善光寺のある長野か、どうしてこんな山へ来るのか」「ん!
 ま!!」とだけ答えたら、田中県知事の悪口を一くさり聞かされた。あたかも、そのように私たち長野
 県人が駄目なんだという様な話し方であった。どうも大阪人とは性が合わない。「何言ってやがんだ
 い!!来てえから来たんじゃねえか....よ!!」薄暗い杉木立の坂道を下りながら、ぶつぶつ言う
 私でした。
くたびれた。足のタブタブに実が入って痛い、でも来てみてよかった。天狗の出てくるような感じの山
 道を通して、鞍馬寺なるものが十分体感できた。山の霊気のようなものが感じられる境内であった。
 秋の午後、薄暗くなり始めた鞍馬寺を後にした。
 夜は食うテーマに挑戦である。せっかくの京都、懐石料理にビール4本、酒4本。こんなに飲めるか
 な、食えるかなと思う程豪華である。あれこれ話ながら、差しつ差されつする内に、酒もビ−ルも料理
 もきれいに平らげてしまった。
 私をはじめ糖尿病だと威張っている中曽根君小林君も大いに飲んで食った。中曽根君が毎晩晩酌
 で酒を飲んでいるという小林君に「酒はな 糖分が多いから飲まない方がいいよ」としみじみ言ってい
 た。が...その中曽根君、帰りに赤福を買いたいから、売っていそうなサービスエリアへ寄れという。
 名前は違うが赤福と同じ様な甘ーいあんころ餅を購入してご機嫌だった。いったいどうなっているの
 だろうか?私には理解できなかった。テレビを見ていたら、楽しく食べることは、たまにはストレス解
 消で糖尿病にはよいと言っていた。そう考えることにした。
                            ルビノ京都堀川会館泊

修学院離宮
■11月14日 水曜日 晴れ
  10:00から修学院離宮の参観予定になっている。駐車場がないのでカーナビの指示通りに、一乗
 寺駅近くの有料駐車場に止めようと思ったが、既に他に転用されたのか探してもなかった。ままよ、
 近くまで行ってどうにかしようと腹をくくって走った。周囲に気配りをしながら走ったが、何処にもそれら
 しいものがないまま、修学院離宮の入り口へさしかかってしまった。花屋があった入口に3〜4台駐車
 できそうである。おばちゃんに1000円渡して駐車を頼むとしぶしぶのゼスチャーだが快くOK なんと
 かなった。この花屋は赤山禅院の門の前であった。ラッキー!


赤山禅院はガイドブック通り規模は小さいが色の濃い紅葉であった。一本の木で黄色と赤の混じった
 紅葉は珍しかった。拝殿屋根上の猿は必見とあったが見落とした。
  修学院離宮へ来た、未だ10時前。清掃の人たちが7〜8人、せっせと木下の清掃をしている。すが
 すがしい気分である。緑の松の間からもれる様に見える真っ赤な紅葉が、すがすがしさを増幅して迎
 えてくれた。(写真上)

 【修学院離宮】
  京都市左京区の比叡山雲母(キララ)坂の西麓にある離宮。平安時代に僧勝算の営んだ寺(修学院)
 の跡で、のち後水尾上皇が別荘として造営し、1659年(万治二)完成。上の御茶屋・中の御茶屋・下
 の御茶屋の三区に分れ、殊に庭園の美で知られる。

こんな(写真)感じで宮内庁の係員が一行20名ばかりを引率して巧みに説明してくれた。飽きの来な
 いガイド振りであった。                         
  見学時間は約2時間、3qを歩き、見て回った。道路は白い細かな砕石が敷き詰められていて歩き
 よかった。木の下はスギゴケが絨毯のように生い茂っていた。一寸でも道路からそれてこのスギゴケ
 を踏むと、後からついて来る職員が「入っちゃ駄目!」と素っ気なく叱りとばす。私もやられた。もっと言
 い様がありそうなものである。 昨日の鞍馬寺が響いて足が痛い。やはり歳かな。
       紅葉ののぞき見です                 御茶屋隣雲亭から見た浴龍池手

          浴龍池の千歳橋                      彼方の橋は土橋     
 見学が終わって昼飯。レストランなんてものはこの界隈には見あたらない。メニューを見て注文して
 も「今日はそれはできない」と言うおばちゃんの店で、コーヒー付き焼きめし定食¥750をぱくつい
 た。人柄の良さそうなおばちゃんは、愛想が良くて好意的であった。この近くにある門跡寺院万殊院
 を見学しようかと思ったが、おばちゃんが「修学院を見学した後だと、それほど感激しないのじゃねえ
 の」というから止めた。

桂離宮

桂川
 京都市街を斜めに突っ切って桂離宮へ向かった。途中渋滞が何カ所かあり、結構時間がかかっ
 た。万殊院を見ていたら多分遅刻したろう。多少時間があったので、離宮から直ぐそこにある桂川縁
 まで降りてみた。地元の方が一人、のんびりと鯉釣りをしていた。これが古都京都なのかなと、その
 良さが感じとれた。

 【桂川】
 京都市南西部を流れる川。大堰(オオイ)川の下流。鴨川を合せ、宇治川に合流して淀川となる。かつ
 ては鮎の産で有名。
【桂離宮】
京都市西京区にある離宮。元和(16151624)頃、八条宮智仁(トシヒト)親王の別荘として創められ、数
 次にわたって造築。1883年(明治16)以後、離宮。数寄屋造り書院と回遊式庭園で著名。

 ここは写真撮影禁止である。理由はガイド職員によると、以前はよかったが、撮影に気を取られ、
 怪我をする人があったことから、禁止になったとのこと。そう言われてみれば、切石が飛び石状態に
 並べられていて、その上を歩くようになっている。石の高さもまちまち、注意して歩かないとつまずい
 たりして、歩きにくい道であった。この道にある飛び石の一つ一つも大事な観賞素材なのでしょうか。
 ここは修学院離宮に比べれば、極めて素朴。自然の状態を大事にし、素朴さの中から、見る人がそ
 の人なりの美を、感じとれるように造られているように思える。
ガイドは30歳近い娘さん。地味な服装、無愛想。にこりともしないで抑揚のない話し方、冗談一つ言
 わない、ぶっきらぼうの人だった。熱意など全く感じられなかった。
下の写真はパンフレットからコピーしたものです
      写真左御幸門:                           外腰掛
 茅葺き屋根を皮付き丸太で支えた        茅葺き屋根を皮付き丸太で支えた、便所もある

         
      松琴亭:本格的な茶室                園林堂:本瓦葺き、方形造り、持仏堂   
   
昨日の今日疲れました。今日の見学は終わり。ホテルへ直行 堀川会館泊 



神護寺・常神半島
■11月14日 木 晴れ
  今日も良い天気である。嵯峨野の念仏寺から嵐山高雄パークウエイへ。所々にある展望台などで
 紅葉や湖水などの風景を堪能しながら高尾山神護寺へ向かった。


街路樹の真っ赤な紅葉
パークウェイの言葉通り、公園の中を走っているような景観であった。街路樹の真っ赤な紅葉がずら
 っと続き、走り去るのが惜しいような所もあった。   
  神護寺の入り口には「混み合うから、車はご遠慮ください」と書かれていた。まじめな私達は仕方が
 ないので、少し行った料理屋の駐車場に昼飯を食う条件で駐車した。参道入り口まで歩き10分。沢
 山の車が入っていた、当初予定したホテルの駐車場もそこにあった。「遠慮してください」とあったら
 遠慮しない方がいい。

じんご‐じ【神護寺】
京都市右京区高雄にある真言宗の寺。古くは高雄寺・高雄山寺といい、平安時代以前から山岳信仰
 の拠点。平安初期には和気氏の氏寺、入唐請来の新法門を宣伝する場で、最澄・空海も止住。824
 年(天長一)神願寺を合せて護国道場とし、神護国祚真言寺と改称。鎌倉初期に文覚が再興。平安初
 期作の五大虚空蔵五体、薬師如来像および平重盛・源頼朝画像などを所蔵。楓の名所。

 山道入口(下乗石)から拝観料を払う楼門まで300段の坂道。鞍馬寺の後遺症のある私が先ずば
 てて、石段の隅に腰を下ろして一休み。その横をひっきりなしに人波が行き交う。登る人、下る人、中
 には犬を抱いている人もいたが現代的な情景である。この楼門までの坂道も境内も、辺り一面素晴
 らしい紅葉であった。中曽根君は、写真を四つに引き伸ばし、額へ入れるような写真を撮りたいと、盛
 んにシャッターを押していたが、どうなったのかな?。楼門を入ると平坦の部分が多く広々としてい
 た。また 白い花崗岩質の砕石が適度に敷かれ明るい開放的な感触である。金堂でお参りをし、か
 わらけ投げに挑戦したり、紅葉をバックに何枚も写真を撮りあったりした。天気はいいし、紅葉は満
 開?だし、気分は上々。中曽根君は高雄の紅葉を以前から見てみたいと願っていたとのこと、また 
 彼の投げたかわらけは上昇気流に乗り宇宙船のように谷の彼方まで飛んでいった。願いは叶った
 し、かわらけは飛んだし、彼の満足度は100パーセントの神護寺だったと思います。.....が、私の
 投げたかわらけは、直ぐそこにポチンと落ちた。小林君もだそうです。
日に映える紅葉、陰の紅葉、大地に写した樹影の調和的な美は「素晴らしい!」の一言に尽きる。
  楼門を入ると広々とした明るい境内だった           紅葉の陰陽の調和した美

この後駐車した料亭に戻り昼食を採った。


\2.500のてんぷら定食
メニューは3〜4千円が普通、一番安いのが2千5百円のてんぷら定食であった。「高いナー」と誰
 か、...「一番安いのでいくか」と誰か。結局はてんぷら定食を案内された川端の桟敷でご馳走にな
 った。思った以上にうまかった。「食べてよかったね」と誰か。

この後は、周山街道を若狭湾へ出て、常神半島の民宿で泊まればいい。うまい飯は食ったし、今日
 の見学は終わったし、後は一本道。途中で運転は中曽根君に変わる予定、私はルンルン気分。これ
 がまずかったんだな。料亭を出て左折すべきを右折してしまった。小林君が「高山寺の方へ行くのじ
 ゃないの、京都の方へ走っているよ」と言うが、勘違いは怖い。私が気づいたときには、仁和寺の前
 まで来てしまっていた。京都市街の入り口まで戻ってしまたのだ。この距離4q。がっくりしてバック、
 又てんぷら定食の料亭の前を通過した。....のでした。
高尾山神護寺の紅葉を見た後、周山街道の紅葉は色あせて見えた。全山紅葉で真っ赤に燃えてい
 るような風景を想像していたが、私達の気をそそるものはなかった。

若狭湾の夕暮れ
若狭湾の端を走った。これから行く先の、常神半島が夕日に輝く海の向こうにあった。美しい夕暮れ
 である。

夕飯は、活魚料理。腕自慢の宿の親父の作。タイにヒラメに大きなアオリイカの目ん玉が生き生きと
 していた。親父さんは「家のメインはアオリイカです」と言っていた。そのほか焼き魚、煮魚等の数々、
 食べきれないで残す誰かもいた。ん..ん..満足満足。「血糖値が心配だ」誰かが言っていた。

三方五湖
■11月16日金 晴れ
ついている今日も上天気になりそうである。こんな感じで、女将さんと亭主に見送られて出発。先ず
 三方五湖の眺望である。

みかた‐ごこ【三方五湖】
福井県南西部、三方郡三方町と美浜町にまたがる湖。三方湖・水月湖・菅湖・日向(ヒルガ)湖・久々子
 (クグシ)湖の五つの湖から成り、眺望に優れる。国定公園に指定。

有料道路レインボーラインから展望台へ登った。見た。素晴らしい眺望である。柔らかな朝の逆光に
 輝く湖面は神秘的である。古来湖水に関わる神秘的な逸話が多いのもうなずける光景であった。
       逆光に輝く湖面                  展望台の上は公園 友好の鐘とバラ園
 私達はあれは何々湖とか言いながら湖水の名前を確認したりした。反対側(西)は相模湾が開け、
 常神半島が長くのびていた。この一帯は相模湾国定公園になっている。
 展望台のこの小さな公園には天狗堂、誓いの鍵、友好の鐘、バラ園、和合神社、その他があり結
 構楽しめるようになっていた。天狗堂のまえにあったかわらけなげは1枚100円。神護寺は2枚で10
 0円。ここでは誰もしなかった。

彦根城

彦根城
 この後北陸道の賤ヶ岳SAで昼食.。彦根城着午後1:00。大手門前に市営の駐車場があり助かっ
 た。ここは井伊直弼の居城でもあった。
【彦根】滋賀県東部、琵琶湖の東岸中央部にある市。もと井伊氏35万石の城下町で、城郭を現存。
 人口九万九千
 【井伊直弼】幕末の大老。彦根藩主。掃部頭。紀伊徳川家から家茂(イエモチ)を迎えて将軍の継嗣とし、
 また勅許を待たずに諸外国と条約を結び、反対派を弾圧したので(安政の大獄)、水戸・薩摩浪士らに
 桜田門外で殺された。1815〜1860
大手門から入り先ず、国宝の3層3階の天守閣へ登った。急な階段は、くたびれた足にはこたえる。
 滑り落ちそうな感じで怖い。こんなに高所恐怖症ではなかったように思うが。天守からは琵琶湖が手
 に取るように望めた。その眺望では湖面よりも町中にある1本の銀杏の黄色が印象的であった。降り
 るときはバックで手すりにしがみついて降りた。多分格好の悪いスタイルであったろう。城を一回りし
 て、大名庭園である玄宮園を見た。名勝の言葉通りに素晴らしいものであった。ここは琵琶湖や近江
 八景を模して造られた縮景園。園内にある茶室は来賓用のもの。
   玄宮園内の築山に建つ鳳翔台(茶室)                 玄宮園
 35万石の大名ともなれば、風流でゆとりを感じさせる生活をしていたのかな。これだけのものを維
 持する費用は等、貧乏人の私は直ぐに考えてしまいました。
見学が終わって3:00 小林君はここからJRで帰宅。
帰りは、駒ヶ根SA6:00夕食。高野君宅でPCをいじったり、コーヒーをいただいたりして帰宅は9時頃
 であった。旅は終わった。

エピローグ
北海道から始まった車の旅は今回で8回目になる。よくも続けてきたものだと思います。これは、よい
 旅仲間に恵まれたからであります。今回も旅の中で、歴史的なことを中核にしながら、農業、PC、政
 治、産業、料理の仕方まで多面に渡り意見交換が為されました。皆さんそれぞれ勉強されていて、不
 勉強の自分が恥ずかしくなりました。
よき仲間とは向上し合えるお互いであると思います。

来年のことは分からない年頃になって参りました。今回の旅で初めて、来年はこうしたいとの具体的
 な意見が出ませんでした。「又よい集いを持ちたいものですね」の程度になりました。これは
 「喝!!」ですね。より意気軒昂に生きたいものです。

私は日本海の海岸で、キャンプをしながら、アウトドアをエンジョイしてみたいな等願っていますが。 
   どうなるかな。   次回は。

皆さんのお陰でマイデザインの旅が無事に終わりました。有り難うございました。小林君には両離宮
 の許可申請や京都の情報提供をしていただきました。それが今回の旅の中核であります。有り難う
 ございました。中曽根君には運転を代わっていただきました有り難うございました。高野君の名ナビゲ
 ーター 大変気苦労だったと思いますが、有り難うございました。来年もより楽しい旅を続けたいもの
 であります。

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