![]() 1日目 10月28日 曇り
新発田市周辺では豪農の館伊藤邸→瓢湖→清水園→新発田城跡を見て高瀬温泉泊
2日目 10月29日 曇り
荒川峡谷から米沢市へ 上杉家廟所→上杉神社→ スカイバレー(旧有料道路)をあえぎながら登り
最上川源流から檜原湖畔を走り五色沼へ出た。ゴールデンコース(有料道路)を経て猪苗代湖湖畔 翁島荘泊 3日目
天鏡閣を見て会津若松の観光。 白虎隊自刃の地飯盛山→鶴ケ城→高速道で帰宅。
天候はまあまあ、紅葉の最盛期赤と黄色の紅葉が暖かく迎え入れてくれた。堪能できた旅であっ
た。 ![]() 笹に包んだあんころ餅 美味かった。ほっと 一息入れて出発。 新潟県最大の豪農の館伊藤邸へ 伊藤邸の庭園。それ程広くはないが銀閣寺 ゆかりの庭師によって5年がかりで造られた ものです。 ![]() ![]() 伊藤邸の広間にこのような掛け軸がありま した。家訓と思われます。 「一粒の飯粒もそれを作るには並大抵でな い辛苦があったことを忘れてはならない」と 書かれています。 ![]() 伊藤邸から東へ車で20分走って瓢湖へ 渡り鳥が3000羽ほどもいた。白鳥の数は 未だ少なかった。でも見ることが出来たの は時期的にラッキーであった。11時の餌付 けの後 たらふく食ってのびのびご消光の 鳥々々であった。 瓢湖は農業用水池として人工的に造成され たものです。 江戸時代1639年に13年の歳 月を要して完成しました。大小2つの池がち ょうど瓢箪の形をしていたので、明治 40年 ころから「瓢湖」と呼ばれるようになった。 国道460号線を走り新発田市の清水園へ ![]() 新発田城主溝口家の下屋敷として造られ、 清水谷御殿とも呼ばれ、幕府の庭方であっ た縣宗知によって造られた近江八景をとり 入れた京風の庭の中央に、草書体の「水」 の字を描いた大泉池を配した廻遊式庭園 ![]() 清水園 池をバックにして 老ご夫妻の奥さんが撮影してくれました。 ![]() 清水園にそって流れる新発田川をへだてた路すじ に、藩政時代の足軽が居住した茅葺平屋建の八軒 長屋がありました。大名の暮らしと足軽の暮らしの 差に何か割り切れないものを感じました。 ![]() 新発田城跡は新発田市役所の近く、街のど真ん中にありま した。入り口が分からなくて迷いに迷いました。 新潟で江戸時代の城が残っているのは、ここだけです。今 残っているのは、「石垣」「掘」「隅櫓」「表門」です。写真は 表門です。 ![]() 表門前にある堀部安兵衛の銅像 堀部安兵衛は新発田藩出身 新発田市の人が誇りにしてい ます。 1702年、吉良邸討ち入り 、幕府の命により切腹。享年34 歳 ![]() ![]() 写真右は高瀬温泉の旅館 での朝食。無口のお婆様が 接待してくれた。 翌日は国道113号線を走り 米沢市へ向かいました。 荒川峡 (関川村)写真左 美しい渓谷を縫うように荒川が流れる。色とりどりに 染められた山の景色は、ワンダフル。 ![]() 秋は、紅葉の季節。自然の織りなす荒川峡の一大 パノラマは、一見の価値あり。 10月下旬から11月初旬にかけて、荒川峡谷は紅く 染まります。特に国道113号線はもみじラインと呼 ばれています。紅葉が空と清流の青さに一段と引き 立ちます。 所々で駐車紅葉の鑑賞をしました。 ![]() ここも入り口が分からなくてうろうろ。廟 所の裏の道路に駐車し住宅の裏道を通 っていきました。 上杉謙信を中心として影勝・鷹山など上 杉家歴代の当主を祀る霊廟 ![]() 謙信公の墓 明治6年(1874)米沢城は解体され、同9年城内に安置さ れていた謙信公の尊骸は、当廟所中央に移葬されました。 ![]() 米沢城跡の堀 今は公園になっている。また上杉神社が旧本 丸跡にある。 ![]() 上杉神社は謙信公、鷹山公ニ柱を祀り、旧米沢城本丸の奥 御殿跡に建てられている ![]() 上杉謙信公の銅像です。関 東管領・上杉憲政から上杉 の姓と関東管領職を譲ら れ、上杉輝虎と名乗った。 謙信は法名です。 ![]() 最上川源流の標識 強風で帽子が飛ばされそうであった。スカイバレー (旧有料道路)の道路端。 ![]() 裏磐梯の五色沼は青沼・瑠璃沼・弁天沼・みどろ 沼・毘沙門沼があり、水の色が湖沼によって変わる ことで知られている。 写真は毘紗門沼です。五色沼の中では一番大きな 沼です。大勢の観光客でにぎわっていました。 ![]() イロハ紅葉の赤が鮮やかであった。「来た価値があ った」と誰かが言っていた。バックは毘紗門沼です。 この後 五色沼自然教室の見学後ゴールデンコース (磐梯山の中腹を走る有料道路)へ。 ![]() 央部分が飛ばされて出来た山体です。写真左 ![]() いた磐梯山の写真です。左 の写真と対比してみてくださ い。 ![]() ゴールデンコースの紅葉です。鮮やかな唐松の紅葉が目を 引きました。左手に猪苗代湖が展望できました。 ![]() てられた。ルネッサンス風の洋風建築で優雅な造りです。 ![]() がわのみやたけひと)の銅 像昭和59年再建したもの です。 ![]() 飯盛山白虎隊士自刃の場所です。 写真は自刃した白虎隊士の墓です。右方向には戦死した白 虎隊士の墓もありました。 ![]() 飯盛山から見た会津若松市の眺望です。鶴ケ城が小さく望 めました。 ![]() 鶴ケ城 再建された城は5層の美しい城であった。中は博物館。 ![]() 城の中から見た会津若松市の景観です。
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