ヒマラヤの青いケシ

大鹿村へのドライブ
2004年6月13日
目的は大鹿村の農園で栽培されているヒマラヤの青いケシの花を観る。
中央構造線沿いを走ってみること

ヒマラヤの幻の花と言われる青いケシの花を大鹿村の農園で栽培されています。
この農園は南アルプスの山麓海抜1500bにあり、蛇行する山道を気を使いながら上り詰めたところ
 にありました。
車が30台ほど駐車場にあり農園もたくさんの人が訪れていました。花は満開でちょうど良かったよう
 です。澄んだ青空を思わせる青い花を堪能しました。この花 下界へ下ろすと枯れてしまうとのこと。

この大鹿村へは 高遠町→長谷村→分抗峠→大鹿村へと中央構造線に沿って南下しました。
中央構造線はご存じのように諏訪湖で糸魚川・静岡構造線と交わった後 高遠町・長谷村・大鹿村を
 経て、九州の熊本まで続く日本列島最大の構造線です。大鹿村への途中 中央構造線の「北川露
 頭」の観察もできました。大鹿村の中央構造線博物館では学芸員の先生と意見交換をしたりして有
 意義なドライブでした。走行距離400q、気の使う道路が多くて疲れました。

高遠城址本丸への入り口


 高遠城はその周辺を支配していた諏訪氏の城でしたが、諏訪氏が武田信玄によって滅ぼされる
 と、武田氏の城となりました。

1582年、織田軍5万の大軍を仁科盛信はわずか3000の兵で迎え撃ち、激戦の末、壮絶な討死を
 遂げた。県歌信濃の国に歌われている「仁科の五郎信盛も・・・」この信盛は盛信のことである。

江戸時代に入ると保科氏、鳥居氏、内藤氏が城主となり、明治維新を迎えた。現在は桜(コヒガンザ
 クラ)の名所として知られています。



美和ダムは、長谷村の道路沿い三峰川(みぶがわ)に建設された堤高69mの重力式コンクリートダ
 ムです。中央構造線に関わりの深いダムです。
主に下流の高遠町や伊那市の洪水調節と灌漑用水の確保、そして発電を目的として昭和34年に完
 成しました



峠には「従是北 高遠領」の石碑と標高1,424mを示す分抗峠の看板がある。峠の名前は「杭を打っ
 て領地を分けたこと」に由来するらしい。



中央構造線北川露頭の説明の看板。北川は大鹿村の地籍名です。駐車場から露頭まで下り坂道3
 分です。



断層を下方から撮った写真です。右側が外帯 左側が内帯です。



露頭の下を流れる鹿塩川です。川の中の石は緑岩やチャートが目立ちました。



国道から蛇行する山道を12q登った所にある中村農園でヒマラヤの青いケシを見ました。



青空のような花弁の色は見る人を魅了してやまないようです。






背丈が1bほどありました。こんなに大きくて良いのかなと思いました。


中には背丈が低め(70p)で、花弁が濃い紫色のものも少数ありました。



オダマキ 平地と異なって花の色が一際鮮やかでした。



大鹿村の中央構造線博物館にて
岩石園の真ん中を構造線が走っています。



構造線の南アルプス側には外帯の岩石、伊那山脈側には内帯の岩石が並べてありました。
写真は内帯(領家帯)の岩石です。



大鹿村の歌舞伎舞台への道です。内帯と外帯の岩石が目に付きます。
白地にゴマが入ったような花崗岩は内帯の岩石
緑色ですべすべしている緑岩は外帯の岩石です。



歌舞伎舞台への道路です。



大鹿村は秋葉街道沿いにあり歌舞伎などの文化が入り伝承されている。その舞台です。



歌舞伎の客席 
客席は中央構造線特有の岩石を積み上げて作られていました。
歌舞伎は年2回場所を変え上演されます。此処は春用と聞いていますが?。

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