![]() ![]() 1.プロローグ
離島ブームの旅にあやかり、種子島・屋久島巡りをした。
長野からバスで→大阪南港→フェリーで鹿児島の志布志港へ→桜島→種子島→屋久島→鹿児島
→中部国際空港→バスで長野へ。天候もまあまあの旅でした。 2.日程の概要と所感
○4月21日 金 曇り
![]() 長野からここまではバス。
大阪南港を午後6時出航する「さんふらわあーさつま」に乗船した。
この船は大阪南港 かもめ埠頭から、鹿児島の志布志港を14時間で結ぶフェリー航路である。夕方6
時に出航し、目覚めれば志布志港であった。 このフェリーは「12418トン」航海速力「23ノット(43q/時)」長さ「186m」幅「25.5m」深さ「9.7m」車
両積載数乗用車「140台」トラック「175台」旅客定員「782名」 ![]() このキャビンで3名 ゆとりがあり囲碁をしたりお茶を飲んだりしてくつろげた。
食事はバイキング形式 品数もあり味も良かった。船の旅で初めて入浴をしてみた。
大阪南港からフェリーを利用したのは2回目だが今回の方が船内は快適であった。
○4月22日 土 小雨→雨
志布志港→バスで溶岩道路経由桜島へ→種子島 観光 泊
![]() 桜島は大正3年(1914)の大噴火で大隅半島と陸続きになっている。
錦江湾を車窓左に眺めながら溶岩道路を走り展望台へ出た。折良く雨が上がりまあまあの眺望を楽
しむことが出来た。錦江湾にはハマチの養殖場が散在していていた。水温、水質等ハマチの養殖に 適しているそうです。 桜島は北岳、中岳、南岳からなる複式火山で、南岳(標高 1117m)が現在活動中。
![]() うなわけにはいかない。船内は全席指定席。シートベルトをつけて飛行機に乗っている感じである。 ![]() ジェットフォイル(jethoil)は吸いこんだ海水を後方に噴出して(ジェット)推力を得る水中翼船。水中翼
(フォイル)の揚力で船体をある程度浮かして高速で走る。スピードの掲示板で認識した最高スピード は83q/時であった。これは大形フェリーの2倍の速度です。 ![]() ここにはポルトガル人による「初伝来の銃」をはじめ価値ある火縄銃が数多く陳列されている。
1543年8月25日 ポルトガル人が門倉岬に漂着し鉄砲をもたらした。それから約1年後には種子島
で国産の火縄銃が作られ、また 堺商人が本土に持ち込み瞬く間に全国に広がっていった。 1571年5月21日「長篠の戦」で武田勝頼が信長・家康の陣に攻撃するも大敗、信濃へ敗走。信長
が大勝したのは鉄砲3000丁のたまものである。 ![]() この館のうたい文句は「限りない宇宙へのロマンと文明の奇跡」である。言葉通りロケットの実物大
の模型が陳列してあったり又無重力・超真空といった宇宙環境の世界をわかりやすく解説したコーナー もありました。 ![]() 翌朝6時頃この浜の波打ち際に大きな鳥がたくさん群がっていました。海鵜かな など話しながらよく
見るとサーフィンをしている人々でした。今日はここでサーフィンの大会があるとのことでした。種子島 の東海岸は波が高くサーフィンに適した海岸とのこと。 N君が「遠くから大きな波が打ち寄せているがどうしてだろう?」 T君は「海が遠浅のためだと思う
よ」 N君は「海水浴にも良いのかな」と話し合っていました。 ○4月23日 晴れ 種子島の観光→屋久島の観光 屋久島泊
![]() ![]() 1543年(天文12年)ここより見下ろす小浦の辺りに、見慣れぬ大きな異国船1隻が漂着した。どこ
の国から何の目的出来たのか、船の形も乗組員の顔も姿も異様で言葉も通じない人々であった。 その船におもむかんとするに、先方より鉄砲を撃ち放ち、その轟音に村人は驚き騒然となった。
大船より小船にて数人が浜におり、西之村の地頭西村織部丞が明国の五峰と名乗る者と砂上にて
筆談し、ようやく意を通じた。我々は貿易商人で怪しい者ではない。台風にまきこまれてここに着い た。織部丞は赤尾木(西之表)の島主に早馬で知らせ、異国船は赤尾木に曳かれた。 異国船の乗組員一行は、およそ半年の間種子島に滞在し、その中のポルトガル人によって鉄砲が
伝えられた。鉄砲なる新鋭の武器は、我が国における戦法を一変し、歴史を変えた。 この地が、日本国において初めて鉄砲を撃った所であり、鉄砲伝来の地である。
![]() ![]() 右側がロケット発射台。左側にある赤白の高い塔は避雷針。この他周辺にはロケット組立塔、衛星
組立棟、発電所、事務所などがある。この写真は「ロケットの丘展望所」から撮影したものです。 ロケット発射場の条件について、バスガイドがあれこれ説明してくれたが、「赤道に近く地球の自転に
よる遠心力を利用して燃料の軽減をはかれる場所」についてはなるほどと教えられた。 ![]() 砂岩が海水に削られて千人もの人が座れるような洞窟になっている。眺めは抜群。「せんざのいわ
や」と読むのかと思っていたら「ちくらのいわや」とよむのだそうです。干潮時洞窟の中に入って参観 できた。 同行のO君が洞窟を出たところで帽子が強風にあおられ飛ばされた。幸い岩山の草にひっかって止
まった。同行のK君がはいずり上がってとってくれた。この辺りは風が強く海食作用の強い波が打ち 寄せるようです。 ![]() ![]() ![]() 種子島西表港からジェットフォイルで屋久島安房港へ。乗船時間50分。船内で弁当の昼食をとった。
安房港着13:00. ![]() 日本では希有とされる、海に直接注ぐ滝として有名。名前の由来は海面に落ちる水音から「とどろき
の滝」と言われたが、それが崩れて「トローキの滝」になったといわれている。熱帯植物園をバスで見 学した途次に参観した。 ![]() 熱帯アメリカ原産の草本性小高木で本来は高さ2〜10mになります。草本生だから年輪はない。通
常枝分岐せず長い葉柄に切れ込みのある大きな葉を着けます。花は葉柄の付け根上部に着きま す。雌株、雄株。 ![]() ![]() レンブ(フトモモ科)ジャワフウトウ、ローズアップルとも称し原産はマレー半島である。レンブの果実は
果肉は海綿質で、水分含量はやや多く、甘みは薄い。淡いりんごの香りがある。、のどのかわきをい やすのにほど良い果実とのこと。 この他この植物園では蝶が舞っていたり、人によく慣れたオームがいて一緒に写真を撮ったりして結
構楽しい場所でした。参観したパパイアやレンブなどの果実が試食したかったがそのようなコーナーはな かった。・・・見ただけ 残念。 ![]() この千尋滝はモッチョム岳の裾の巨大な花崗岩の岩盤を鯛之川がきざんで,壮大なV字谷の景観を
つくりだしており,滝の落差は約60mです。この千尋の滝の名前は,滝の左側にある岩盤は,まるで 千人が手を結んだくらいの大きさだということで名づけられました。 ![]() ![]() 標高1230m、樹冠は枯れていますが、屋久杉特有の筋状の瘤や苔むした膚、ヤマグルマ、ヒノキ、
ヤクシマシャクナゲなど多くの樹木が着生した紀元杉は、着生木の豊富さとその大きさで有名だそう です。(着生植物は平成4年の地上目視調査で12種、樹上に登った過去の調査では21種が確認さ れたそうです・) 根を踏まないように板で歩道が整備され一周して観察できるようになっていた。
![]() 今からおよそ250年〜300年くらい前に伐採された屋久杉の切り株や試しきり跡、樹齢1000年以
上の屋久杉などを歩いて観察できるようになっている。吊り橋があったり、椿が咲いていたり平家物 語に出てくるシャラの木もあった。最後に屋久シカにも出会えた。 ![]() 切り倒した後 ここで加工して搬出したとのこと。手前の切り株が少しえぐれているが切り倒す前に木
の素性を試すために切り取った後です。 ![]() ![]() ○4月24日 晴れ 屋久島→鹿児島市→中部国際空港→帰宅
![]() 花崗岩質の800bもある砂浜 屋久島では最長。海辺には拾いたくなるような貝殻もあり美しい浜
辺であった。 ![]() 卵はピンポン玉大 1回に80〜130個ほど生む。海水のかからない少し湿った場所に生み 生んだ後
は砂をかける。5月から8月にかけて500頭ほどの亀が産卵のために上陸する。7月から8月にかけ て孵化する。生存率はきわめて低い。卵はゆでても固まらないそうです。 ![]() 島の北部にある。南方のジャングルに入ったような感じがした。公園にはカジュマルに似たアカオとい
う木もあった。カジュマル自生の北限地とのこと。 ![]() 「カジュマル」はクワ科の常緑高木。熱帯アジアに広く分布し、幹から無数に垂れ下がり絡まりあった
か細い気根はやがて地面にもぐり、支柱になるという変わった木です ![]() 島津藩の別邸 桜島を築山に錦江湾を池に見立てた雄大な庭園である。借景園とも言う。19代島津
光久がこの地に別邸を構えたのが始まりとのこと。 ![]() 島津家の別邸として建てられた御殿。本邸として使われていた頃もある。現在の物はそのころの3分
の1の大きさです。 ![]() この他この庭園内には日本の近代化の先駆になった紡績工場跡の集成館なども見学予定になって
いたが、当方は年、見学はさぼり喫茶店でアイスクリームを食べて一休みしました。 3.エピローグ
鹿児島市 仙厳園の見学を最後に帰宅の途に着いた。鹿児島空港から全日空で中部国際空港へ午
後5時頃着。K君はここから新幹線を乗り継いで東京へ。私たち4人はバスで長野へ。家へ着いたら 午後11時40分。やはり疲れました。 学友5人 初めてのパック旅行でした。財布を忘れた人、メガネをホテルに置き忘れた人、新調したて
の帽子を風に飛ばされた人などトラブルはありました。財布を忘れても友達から金を借りて、私より豊 かな旅を過ごしました。お茶にしようとか、ソフトクリームを食べようとか、一番高いアイスクリームが 好きだとか言うのは財布を忘れた彼でした。この財布自家用車の運転席のわきに落ちていたとか。 忘れたメガネはホテルから添乗員に連絡があり送付してくれました。 帽子は草の根にひっかかりK君に拾い上げてもらいました。飛ばされた彼は骨折リハビリ終了直後
自分ではこの岩山へはい上がる状態ではなかった。トラブルは仲間同士の助け合いで無事解決しま した。 「貴様と俺とは同期の桜・・・・・・・・・」は何歳になってもいいものです。T君は碁盤持参、暇があれば
私やK君とやっていた。飲んで、語って、打って(囲碁)良い旅でした。来年は南北海道を予定してい る。5人そろって実現したいものであります。
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