台湾 所所
1998年11月6日〜11日

 1.プロローグ
 T君に誘われてこの旅は実現した。学友N君が台湾へ出かけるというので何か参考になればと思
い立ち 8年経過した2006年8月にまとめたものです。

マップ
 2.概要
 台北から西海岸を走り、最南端ガランビ岬から東海岸を通り台北へ、ぐるっと左回りに一周した。
 11月6日
 朝家を出て夜の9時30分 台北国際空港着。バスで桃園のホリデイホテルへ 泊。
バスの中で¥5000を台湾元にチェンジマネイ。

 11月7日  台中市→台南市→高雄市 泊 


KiRin Bus
このバス「キリン」の名の通り二階が座席になってる。キリンもこのような感じで見ているのかな?眺
めはいい。このバスで北東の花蓮まで行った。
 
台中市
 台中市(たいちゅうし)は、人口はおよそ103万人超(2006年6月)、台湾で3番目に大きな都市。18世
初めに大量の漢民族が移住し、都市を形成したと言われている。1884年には台湾省府が台中に置
かれたようであるが、間もなく台北に移された経緯がある。


宝覚寺の入り口
この寺は1928年に建立されたようで、古い寺ではない


宝覚寺 本堂


宝覚寺の弥勒大仏像
この寺を有名にしているのは「弥勒大仏像」であろう。弥勒仏とは七福神の布袋さんのことです。 こ
の大仏さん 高さは約30mで台湾では2番目の大きさだという。 現地のガイドによれば、この大仏の
耳を触ると幸福が訪れ、へそに触ると「へそくり」が増え金持ちになるという。残念ながら大きすぎて
触れられそうもない。以前は大仏の中は博物館になっていて入られたそうです。へそから外を覗い
たりもできたとか、今は入られないようです。柔和な笑顔に心の和む感じがしました。
 
台南市
 人口は約75万人(2004年4月)。台湾第4位の都市 台湾で最も早くから開けた地区の一つであり、
オランダ人はここに根拠地ゼーランシア城をおいた。
 鄭成功はここを占拠していたオランダ人を追放し、ここを根拠とする。鄭成功による支配から清朝の
台湾制圧にかけての時代 台湾の首府であり、政治・経済・文化の中心地であった。



台南市 赤嵌楼(せっかんろう)
もともと1624年に台湾南部を占領したオランダ人が築き、当時はプロビデンシャ城と呼ばれていた。
鄭成功が彼らを駆逐した後に承天府と名を改め、政治の中心として機能した。この建物はオランダ
人の築いたものとは別の場所へ後日造ったものです。 亀の上に載った碑文にアラビア文字のような
満州文字が刻まれているものもあった。


鄭成功(ていせいこう)の像
中国人(密貿易商の首領)の父と日本人の母の子として生まれる。幼い頃は日本で生育し7才の頃
中国に渡る。反清復明に取り組んだ武将 大陸での清との戦いに敗れ台湾に渡りオランダ人を駆
逐して台湾全土を支配し、反清の根拠地とした。



台南市の孔子廟
孔子廟は台湾の各地にあるが台南市の孔子廟が一番古いものです。鄭成功の子供が部下の進言
により造ったと言われている。



文武廟 前殿(文廟)
文武廟では武人よりも文人のほうが格が上として崇められているという 廟は1938年に建立され、
1975年に再建された中国宮殿式の廟宇で、廟としては台湾で最大級のものといわれている。
  廟は前殿、中殿、後殿の三殿様式になっており、前殿は文廟で文の神である孔子が、中殿は武
廟で武の神である岳飛や関羽が祀られている。

11月8日 高雄市観光→ガランビ岬→知本温泉泊
 高雄市
 台湾で2番目の大都市である(人口およそ151万人)。台湾で最も重要な港 高雄周辺には重工業
地帯が広がり、大気汚染は激しい。高雄は、台湾の石油のほとんどが輸入される主要港であり、膨
大な重工業を支えている。


澄清湖 (ちょうせいこ)
高雄市の北郊にある周囲7kmの人造湖で、かつての蒋介石の別荘地や九曲橋などがあるほか、
近年大型水族館がオープンしている


蓮花潭(蓮池潭)の竜虎塔
湖上に七重の塔が二つ建てられている。向かって左側の塔には大きく口を開けた竜がつけられて
おり、右の塔にはこれも大きく口を開けた虎がつけられている。左側の龍の口から入り塔を見て右
側の虎の口から出てくるようになっている。この通路を通ると悪人も善人になれるとか。


竜虎塔の入り口で



九曲橋
竜虎塔へ行くにはこの曲がりくねった橋を通ってて行く。悪魔は直進できるが曲がりくねった道は通
られないとか。言うなればこの橋魔除けの橋です。



湖裡亭
蓮花潭には「竜虎塔」の他に、朱塗りの中国式あずまや、「湖裡亭」が建っている。なかなか趣があ
ります。



ガランビ岬へ
ガランビ岬は同行のK君T君(写真)の背面を奥へ歩いていきます。



ガランビ岬にて
台湾の最南端「ガランビ岬」に建つ蒋介石の像と灯台  ここは台湾海峡とバシー海峡の境目です。


ガランビ岬からバシ−海峡の展望
バシー海峡:台湾とフィリピン領バタン諸島(バシー諸島)との間にある海峡。幅約150q バタン諸
島の原住民は台湾人とよく似ているそうです。

 11月9日 知本温泉郷−台東市経由→北回帰線→タロコ峡谷観光後花蓮泊 、アミ族娘踊り鑑賞


北回帰線の標識(マップ参照)
北緯23度26分22秒 夏至には太陽がこの真上を通過します。ここから南は熱帯北は亜熱帯になり
ます。北回帰線と南回帰線の間が熱帯です。



東西貫通道路入り口ゲート
台湾唯一東西貫通道路はタロコ峡谷通り西側に出る。タロコ峡谷への入り口でもある。



タロコ峡谷
川が大理石の岩盤を浸食して深いV字谷を形成している。



工事のため多くの犠牲者の出た場所
この辺りの道路を造成中に多くの犠牲者が出ました。背景の寺院は犠牲者の霊安所です。また工
事に従事した人達の中には原住民と結婚して新しい集落をつくって住み着いた人もいたようです。



花蓮アミ文化村アミ族娘の踊り
夕食ご参観 集落での生活の様子を振り付けしたものが主。



アミ族娘の踊り


11月10日  花蓮から列車で台北へ、台北市内観光
 台北市
 262万5千人超(2006年7月)が住む台湾最大の都市。1949年以来、中華民国の臨時首都としての
機能を果たす 政治、商業、大衆文化、運送的な中心地である。「たいほく」は日本語、「タイペイ」は
漢語、台湾語では「タイパク」という。NHKでは「たいほく」と言っている。



故宮博物院の入り口に立つ中正(蒋介石)の像



故宮博物院の正面
内部は当時撮影禁止。今はいいとも聞いているが。収蔵品の数70万件 北京の故宮博物院は21
万件 。蒋介石率いる国民党がいかに膨大な数の文物を台湾に運んできたかがわかる。また、台
北に運ばれた文物は厳選された逸品ぞろいでどれも価値の高いものばかりであり、戦火の中、これ
らの文物の点検保存や維持保護には、大変な苦労があったことが伺える。



大中至正門
公園の正面入り口にあるのがこの門 蒋介石を称えるにふさわしい大きさなのでしょうか。門の上に
書いてある「大中至正」とは「行いを正しくする」という意味で、蒋介石のモットーだそうです。 この門
を入ると中正記念堂がある。



中正記念堂の内部
像は蒋介石(中正) 背後の壁には蒋介石の筆墨で倫理、民主、科学と書かれている。彼のモットー
とした言葉なのでしょうか。像の下 両サイドには衛兵が銃を持って直立不動の姿勢で立っていた。



中正記念堂内部での衛兵の交代



忠烈祠
抗日戦争や中共との戦いで戦死した約33万人の兵士の霊を祀っているところである。台湾には忠
烈祠が各地にあるようですが衛兵が護っているのはこの台北だけとのこと。



忠烈祠の衛兵の交代


11月11日 帰国
 朝ホテルで朝食用の弁当をもらい、空港へ行くバスの中で食べる→中正国際空港→家に着いたら
午後7時頃であった。
 
3.エピローグ
 台湾が日本の領土だったのは51年間 約半世紀です。そのためか家の作りも日本風の切り妻型
の屋根が多く20年程前の日本の家並みの感じがした。バイクが多い。お年寄りは日本語が話せ
る。台中の郊外では稲が黄色に色づいていた。身近な感じのする台湾であった。


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