![]() 1.プロローグ
思い立って地元N君の案内での観光。参加者は私を含めて5名。
長野県立歴史館→森将軍塚古墳→名刹長楽寺→展望台からの眺望→JR姨捨駅→棚田→戸倉上
山田温泉泊→山城荒砥城跡→坂城町ふるさと歴史館→無言館→帰宅 2.日程と所感
(1)1日目 7月9日(金) 曇り後晴れ
午前8時30分 JR戸倉駅にてK君と合流。いざ千曲市の観光へ出発。
○長野県立歴史館
ひめゆり平和への祈り特別展見学
沖縄女子師範学生と沖縄第一高等女学校生徒222人と教師18人合計240人が沖縄戦にかり出さ
れ136人が悲惨な最期を遂げたという事実である。午後見学した戦争で散ったが学生の遺作を展示 した無言館を重ね合わすと人が人を殺す戦争は何があってもしてはならないことが感動として胸を打 った。 この歴史館は常設展示展の他に各季節ごとに企画展を開催している。企画展は春期は「ひめゆり平
和への祈り」「夏期はあの世への思い」・・・というようにじっくり見学すれば半日はほしい場所である。 小学校の生徒が見学に訪れていた。 ○森将軍塚古墳
![]() 復原した ものです。古墳には石が積まれ、埴輪が並んでいる。古墳は今からおよそ1,600年ほど昔
に造られた、全長 約100mの前方後円墳。当時の科野のクニを治めていた王のお墓と考えられてい る。 立派 綺麗すぎて「えっ!!これが古墳」びっくりしました。
森将軍塚古墳館から送迎バスが出ている、併せて¥500であった。
古墳館には実物大の石室模型がある。
○長楽寺
![]() 長楽寺は、天台宗の寺院。山号は姨捨山。本尊は観世音菩薩。眺望がよく月見堂もある。境内には
多くの歌碑や句碑があった。 姥岩その下にある観音堂と月見堂は有名。天然記念物の大きな木もあった。中でも門脇の松尾芭
蕉の句「俤や姥一人なく月の友」を刻んだ「おもかげ塚」はここでのメイン。松崎の「松島やああ松島 や松島や」、鹿島の「月はやし梢は雨を待ちながら」とともに日本三塚に数えられるという。 ○展望台
![]() 昼食後姨捨駅の上の方にある展望台へ登った。
姨捨の山裾からその先には善光寺平らが展開している。
この善光寺平辺りの景色全てが武田、上杉の12年間5度に亘る「川中島の戦」の戦場でもあった。
森将軍塚古墳はあの辺りとN君。 国破れ人の生死を繰り返えした山河遠く霞めり。
松尾芭蕉の"夏草や 兵どもが 夢の跡"の句が思い出された。静かな景観である。
○JR姨捨駅
![]() この駅無人駅 スイッチバックと景色がよいことで知られている。ホームに出てみた。眼下にクズの茂
みが土手を覆い。棚田とおぼしき辺りに数条の煙が上がっていた。 その向こうには善光平が開け見飽きない風景であった。
○棚田
![]() "信濃では 月と仏と おらがそば"小林一茶の句にある月の名所はこの棚田である。
N君の案内で2カ所で眺めた。田植え直前ならこの写真の辺りから田ごとの月が見えるのかな?。
この後は一路ホテルへ
途中ノウゼンカズラの橙色の花が見事であった。
○ホテルで
夕食はバイキング食い放題は当たり前だがプラス飲み放題であった。血糖値を気にしながら飲んで
食ってしゃべりまくった。実に愉快であった。部屋へ入ってからは参議院選挙前政治論をまくし立て た。楽しい宴であった。 (2)2日目 7月10日(土) 晴れ
○荒砥城跡へ
![]() 9時頃ホテルを出発温泉街から急坂を登ったそこに復元された山城 荒砥城跡がある。
荒砥城は、冠着山(かむりきやま)支脈の城山(標高895m)山頂を本郭とする城。城は村上支族の山
田氏の居城で、葛尾城の重要な根城である。葛尾城の単なる出城と思っていたが独立した同族の 山田氏の城である。いざ戦が始まると下から農民も立てこもり果敢に戦ったようです。 ![]() 千曲川の対岸南方に村上義清の葛尾城があり本郭より望める。
写真 櫓の左手前の山 一段と高くなっている辺りが葛尾城跡である。
山田氏は葛尾城の城主村上氏と力を合わせて戦い、名将として名をとどろかせた時期もあったが、
天文20年(1551年)武田氏(武田氏家臣真田幸隆)との戦いに敗れ落城、2年後の天文22年(155 3年)葛尾城も落城 山田氏はこの時点で滅亡したと伝えられている。城からの眺めは最高。好天気 汗だくになっての参観でした。 ○ふるさと歴史館
坂城町の旧坂木宿本陣跡にある。上信越道 坂城ICから車で10分です。
戦国信濃の雄 村上義清とその一族の資料が展示されている。
村上義清は落城後上杉謙信の庇護を受け上杉と武田の川中島合戦の導火線になった。川中島の
戦いではその子国清とともに活躍した。川中島合戦絵巻屏風にも義清が描かれていた。この屏風は 複製品。屏風のどこに義清がいるのか表示されていた。 義清は糸魚川の辺りの城主として越後の国境守備を任されておりその城で死亡したのが定説のよう
である。お墓はどこにあるか定かではない。子の国清は謙信の婿養子として海津城の城主等を任さ れたが、彼や末裔の消息は不明である。 瀬戸内海の村上水軍もこの一族である事がこの展示館でわかった。興味ある発見でした。
○生島足島神社
![]() 人と大地に生命力を与える「生島大神」と、人の願いに満足を与える「足島大神」の二神が祀られて
いる。ご神体は普通鏡とか御幣等があるがここにはそのような物何もなく大地と酒がご神体だそうで す。本殿の左側にコモをかぶった酒樽が置かれていた。 現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したもの。内殿は平成10年「県宝」に指定された。
御本殿は池に囲まれた島の中にまわりを老樹に囲まれて建っている。内殿には床板がなく大地その
ものが御神体として祀られているとのこと。ウーーンだから島なんだと納得。 ![]() ケヤキの根本空ろの中に見事な男根が鎮座していた。O君の案内で初めて拝見した。さすが生島足
島である。 ○無言館
太平洋戦争中志半ばで戦地に散った画学生30余名、300余点の遺作、遺品が展示されている。
信濃デッサン館の館主窪島誠一郎さんが、日本各地の戦没画学生のご遺族のもとを、敗戦後50年
を迎えた平成7年5月から2年間探し訪ね遺作を集めた。そして、信濃デッサン館の分館として、平成 9年5月2日に開館。 参観当日は予想以上の人が熱心に参観されていた。料金は出口で支払うようになっている。その日
のうちなら何回出入りしてもいい。近くを散策してもう一度あの絵を見たいというような場合自由に出 入りが出来るユニークなシステムである。出口に合歓の花が満開 ほんのりとした芳香がただよって いた。 3.エピローグ
この後前山寺近くの喫茶店でアイスクリームを食べながら今回の総括と次回について懇談。バニラ
のアイスクリームはブルーベリージャムが適度に絡め美味であった。異口同音「旨ーーい!」 JR上田駅からK君は帰宅。他はホテル駐車場から車で帰宅。
梅雨の最盛期 日本列島水浸しの最中 2日間とも天気は晴れ、ほぼ予定通りの観光であった。企
画されたN君に感謝感謝です。
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