吾妻峡谷から草津温泉へ
2010年11月9日〜10日


11月9日(火) 晴れ
気にしていた天候は予報に反して好天気。
私を含めて5名の旅仲間と我が家(標高350メートル)を10時頃出発  菅平高原経由で鳥井峠へ


ここは群馬県と長野県の県境標高1362メートル 嬬恋村にある。四阿(あずまや)山の遥拝所があり,
 鳥居が設けられたことからその名がつけられた。


嬬恋村名については日本武尊がこの峠で「吾妻はや」妻の死を嘆かれたことに由来するとここにある
 碑文に書かれていた。


国道145号線を標高五百数十メートルの吾妻渓谷へ、ここは八ッ場ダムが出来れば湖底に沈む渓
 谷である。八ッ場ダムのシンボル高架橋をくぐればすぐそこが吾妻峡谷である。
「白糸の滝そば処」のパーキングエリアに駐車(食事をするのが条件)とんとんと降って吾妻峡谷入り
 口にある白糸の滝を見学。ここから川の上流へ向かって右側が遊歩道になっている。


吾妻渓谷にかかる橋から眺めた。白糸の滝は三段になり途中で小さな滝壺を作り吾妻川へ落下す
 る美しい滝である。橋の高さがあまりにも高くて身のすくむ思いであった。


橋から見た上流の吾妻川



橋から見た下流の吾妻川

この渓谷は溶岩を川が浸食して出来たとのこと 南アフリカ ビクトリアホールズを思わせる深い渓谷
 であった。
渓谷沿いの遊歩道3qを歩くのは我々には無理。昼食後 ドライブでの車窓見学。所々パーキングエ
 リアで駐車して眺めた。・・・が紅葉は我々を感嘆させるものではなかった。


木立の間から吾妻川の川面が遠く見下ろせた。峡谷は深い谷である。

ダムが出来れば湖底に沈む川原温泉街へ行ってみた。狭い道路と活気の感じられない家並みであ
 った。

草津温泉へ。 145号線を右に折れ草津道へ入った。道路は広く車はとたんに少ない。快適なドライ
 ブであった。唐松が全山黄色に染め目を奪う。


草津温泉は何時も通過するだけ。N君と私はここでの泊まりははじめて。湯は酸性泉で舐めたらずい
 ぶん酸っぱかった。




O君の案内で宿から徒歩3分湯畑へ。この辺り予想以上の人出で賑わっていた。
湯畑から西の河原へ向けての商店街を散策した。狭い道路の両脇に小さな専門店が並んでいた。
 何れもこぎれいな店 近頃は見かけない風情である。西の川原は途中まで行っただけで引き返し
 た。まだこの先10分も歩かなければ行けないというので。
宿へ帰ったら当地在住のY君が訪ねてきた。S大学同期生だが卒業以来はじめての出会い どこか
 でかすかな記憶がある程度。同行のK君とは知古の間柄。彼は四国88カ所の寺参りを既に3回済ま
 せたとかK君の話。そう言われてみると初対面にもかかわらずにこやかな対応であった。

O君の発声 生ビール大ジョッキーにて 再会を祝して乾杯。積もる話に華が咲き楽しい宴であった。
"紅葉に 積もる話題は 豊かなり 友と草津の 夜は更けにけり”

11月10日(水) 晴れ
朝4時頃テレビの大きな音で目を覚ます。どうしたのかなと思ったらN君がテレビのリモコンに間違え
 て肘をついてしまったとか。これで皆目を覚ましてしまった。
K君は持参した酒をちびちびやり出した・・・がそのうちにぐいぐいやっていた。飲むほどにK君の怪気
 炎が始まった。「成績はT君が1番、N君は2番で俺は全く駄目で10番の落第生」誰かが「何言ってる
 の40名学級で10番なら4点級 上位の成績じゃあねーか落第なんてとんでもない。」と応酬 なるほ
 ど 自己アピールにこのような手もあるのかな。
「テレビの音 人迷惑になるからもっと小さくして、もっともっと」とK君。そのK君が酔う程に蛮声を張り
 上げ 調子外れで軍歌「広瀬中佐」を歌い出した。

一、轟く砲音 飛来る弾丸
 荒波洗うデッキの上に
 闇を貫く中佐の叫び
 「杉野は何処杉野は居ずや。」

二、船内隈なく 尋ぬる三度
 呼べど答えず さがせど見えず
 船は次第に 波間に沈み
 敵弾いよいよ あたりに繁し

三、今はとボートに 移れる中佐
 飛びくる弾丸に 忽ち失せて
 旅順港外 恨みぞ深き
 軍神広瀬と その名残れど
何か矛盾を感じながら『坂の上の雲』(司馬遼太郎)を想起しながら私も小さな声で彼の変ナ調に和し
 た。8時の朝飯頃はK君も正気に戻り広瀬中佐を歌ったのは全く覚えがないという。

野反湖標高約1555メートル参観予定だったが道路氷結が心配の為割愛、帰宅後調べたら ここは
 10月の初旬が紅葉の最盛期とのこと。
志賀高原越えで帰宅することにした。この好天気先ずは大丈夫と思いながら念のため草津の役場へ
 電話を入れると道路氷結のため全面通行止めとの事。白根山から渋峠の辺りが駄目らしい がっく
 り。
しょうがない来た道を引き返すことにした。出発しようとしたら宿の番頭さんが背広の上着を持ってす
 っ飛んで来た。K君の上着だった。よかったよかった。
出発して2分 草津の交差点にさしかかったら「車を止めて財布がない」とK君。「交差点では止められ
 ないからちょっと待って」と私。交差点を左折したら財布があったとK君。 ほっとしてアクセルを踏んだ
 ら「携帯電話がない」とK君。「携帯電話なんかいいじゃないかと」と誰か 急ぐ旅でもない。道路脇の
 パーキングエリアに駐車。「今K君の携帯を呼び出すから」と私「そういう手もあるか」とT君。呼び出そ
 うとしたら「あった あった」とK君。呼び出したら「ジジジージジジジー」彼の携帯が鳴った。K君に仕切
 られっぱなしの今朝であった。


菅平高原(1300メートル)スキーゲレンデの下にあるカレー専門店にて昼食。齢80歳の我々にはオ
 ーバーボリューム「これで夕飯食べなくてもいいわい。」と独身者のN君。
我が家着1時30分 家内が自慢げに出した裏の川で採れたクレソンのおひたしでお茶を飲んで散
 会。
走行距離200q 消費ガソリン19.3リットル 10.4km/l  1800ccとしてはよく走る車である。自画自
 賛。  ご苦労様でした。楽しい旅でした。

今後の予定
来年4月は知多半島先端へ。
634メートルの武蔵タワーが出来たら東京へ。
・・・の旅が予定されている。そこまでは生きたいものである。



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